6.大器は晩成す。大音は希声なり。大象は無形なり。道は褒(さか)んにして名なし
(『老子』第四十一章)
「とてつもなく大きな器は、完成するのもまた遅い。とてつもなく大きい音は耳で聞き取ることはできない。とてつもなく大きい形は目で見ることはできない。『道』は途方もなく大きいので、名前をつけようもない」
「大器晩成」という言葉の元になったフレーズとして、あまりに有名です。
数ある中国古典の中でも、最上級の難易度を誇る『老子』の一節ですが、『老子』は人生経験を積み、世間の酸いも甘いも味わった人こそわかる古典と言われています。
血気盛んで勢いがある二十代の時に読んでも、
「何わけのわからんこと言うとんねんこのおっさん」
とまったく意に介さなかったのが、アラフォーと呼ばれる年齢になり改めて読んでみると、
「めちゃわかる!」
読んで涙さえ出てくる摩訶不思議な古典、それが『老子』です。
上のフレーズを読んでも恋バナ以前に、「大器晩成」以外何が言いたいのかわからないと思います。何を言うとんねんこのおっさんと(笑
上の訳を、ちょっと変えてみましょう。
「とてつもなく大きな愛は、完成するのもまた遅い。とてつもなく大きい愛は耳で聞き取ることはできない。とてつもなく大きい愛は目で見ることはできない。愛の道は途方もなく大きいので、名前をつけようもない」
本当の恋、つまり愛というものは、言葉で表現できるものではなく、形で表現できるものでもない。そして、愛はすぐにはできない、じっくり時間をかけて育ててゆくものであるということ。
これと似た言葉が、ユダヤの格言にあります。
「恋愛へは急げ。結婚へは歩け」
恋は冷めやすいから急ぐべきだけど、『愛』が伴う結婚は、歩きながらゆっくり形作れ、とユダヤの賢人も言っておるわけです。
意味不明のフレーズでもなんだか深い、これが『老子』の真髄です。逆に言うと、『老子』の内容が身体に染み込むようにわかってきたら、人間としてそれなりの経験値を積み、一皮剥けたと思っていいと思います。
7.大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが如し
(『老子』第六十章)
「大きな国を治める時には、小魚を煮る時の様に無闇にかき回さず、じっとしてると良い」
終戦時の総理、鈴木貫太郎(元海軍大将)が、
「早く戦争終わらせないと日本が滅ぶ!
と焦る側近に、引用した言葉がこれです。
旧帝国海軍の提督は何故か『老子』の愛読者が多く、ぼんやりとした、しかしとてつもない大きな器を持っている岡田啓介や米内光政大将も愛読していたと言います。鈴木貫太郎も軍艦の艦長の時も総理の時も、机の横に常に『老子』を置いていました。
恋をしていると、どうしても気がはやってしまい、土台から崩してしまうことも多々あります。恋は「小鮮を烹るが如し」、つまりあまり突っつくと恋の魚の形が崩れて食べられなくなりますよ、ということです。
早く食べたいから、小魚を突いて早く熱を通したいという気持ちはわかります。が、じっくりゆっくり、弱火で煮ましょうや。
8.これを奪わんと欲すれば、必ず固くこれに与えよ。
(『老子』第三十六章)
「何かを奪おうと思うならば、まず何かを与えると良い」
『新約聖書』にも、
「与えよ、さらば与えられん」
(マタイの福音書7章7節)
という超有名な言葉がありますが、『老子』のは自分の欲望を叶える手段としてこれを使え…とより老獪です。『老子』お得意の逆説表現を使うことにより、ただ与えるだけじゃないんですよ感がプンプンする策略です。倫理ばかり唱えるのが道徳じゃない。これが『老子』の面白いところ。
例えば、好きな人がいるとしましょう。好きな人に何とか自分の気持ちを伝えたい、でも恥ずかしい。でも伝えたくてたまらない…。この気持ちが恋愛ってもんだと思うのですが、まずは相手に振り向いてもらわなくてはいけません。
「好きな人の笑顔が見たい」
「好きな人に向こうから挨拶して欲しい」
「相手からアプローチして欲しい」
いろいろ願望が錯綜すると思いますが、自分の願望を叶えたければ、まず自分からやれ!
と老子は言っておるのであります。
「好きな人の笑顔を見たい・・・」
→「自分から好きな人に笑顔になればいい」
「好きな人に向こうから挨拶して欲しい・・・」
→「自分から相手に挨拶すればいい」
「相手からアプローチして欲しい・・・」
→「自分からアプローチすればいい」
至ってシンプルであります。
「相手にこうして欲しい」「こうなって欲しい」と自分の欲を押しつけるのは、レベルが低い自己中な恋愛。高レベルの恋愛は、「まず自分から与える」ことだと思います。
「相手からデートに誘って欲しいな」って思うだけで何もしないと何も叶いません。そんな自分の都合だけで世界は動きません。
9.将とは智・信・仁・勇・厳なり
(『孫子』始計篇)
戦いのイロハを唱えた有名過ぎる古典、『孫子の兵法』からの言葉です。戦いの古典ではありますが、ビジネスにも応用できるとビジネスマンが読むことが多い書です。しかし、恋も「戦い」である以上、応用できないはずはない。
これは「人の上に立つリーダーは、『智、信、仁、勇、厳』の能力を持っていないといけない、としているのですが、恋バナではこの5つの条件は何か。
智:状況を読む力、洞察力。猪突猛進を戒める冷静・客観的なものの見方
信:嘘をつかず、約束は守り、相手の「信」、信用と信頼を得なさいということ
仁:思いやり。相手のことを考え、相手の気持に寄り添う。顔色が悪そうな時は、「どうしたの?体の調子悪いの?」と声をかけるのも「仁」
勇:読んで字のごとく。しかし、デートに誘ったり告白したりと進む勇気だけではありません。中国では、「進む勇気」だけしか持たない人間は、「犬武者(日本では猪武者)」と言って軽蔑されます。中国では、「退く勇気」の方が重視されます。なので中国人、形勢不利と見るや、とりあえず逃げます。その逃げ足の速いこと(笑)
恋愛でも、猪武者のように猪突猛進するだけではなく、冷静に状況を観察し、時には退く。これが本当の「勇」です。
厳:「仁」とは矛と盾の関係ですが、やさしさだけでは相手が甘えてしまいます。よって厳しさも持てということ。
恋をしていると、好きゆえにどうしても情に流されてしまう面があります。それは致し方ないところがありますが、それを断ち切る。相手が悪いことをしようとしたら、
「それはやっちゃダメ!」
と止めること。それでも止めなければさっさと身を引く、別れる。それが「厳」です。
10.天下、意の如くならざる事、十に常に七・八なり
(『十八史略』巻三 西普)
「この世の中で思い通りにならないことが、10個のうち7~8個ある」
『十八史略』は中国の古代から宋の時代までの歴史を簡単にまとめたもので、『略』は今で言えば「ダイジェスト版」という意味です。
これも中国でより、日本で広く読まれた書です。
こんな話があります。
文学者の幸田露伴が、大学生の孫娘1に、学校では何を習っているのか聞きました。
孫が「『十八史略』とかを勉強しています」と答えると、彼は大笑い。
「そんなのワシが5歳(満4歳)の時に焼き芋食いながら読んでた本だぞww
そんな低レベルなのを大学で教えとるのかwww」
江戸時代から明治初期では、小学生の「あいうえお」レベルが『十八史略』だったのです。しかし、実際に読むと、中国の長い歴史がコンパクトにまとめられていて(っても宋代まで)、かなり面白い本であります。
閑話休題。
この言葉は、三国志の後の時代の総司令官が述べた言葉です。何十万もの軍隊を操る将軍でも、
「やりたいこと10個のうち、7~8個は上手くいかないもんだよ」
と、おじいちゃんが若い孫に諭しているような、やさしい言葉です。
恋愛でも、自分が頭の中で描いていたことの7~8個くらいは上手くいかないと思います。イライラしてストレスが募ると思います。
しかし、それでイライラせず、
「10個のうち7~8個は上手くいかないんだ」
と割り切ることも、恋愛のテクニックの一つではないでしょうか。
恋愛は上手くいかなくて当然。行ったら素直に喜び、行かなくてもクヨクヨ落ち込むことはしない。淡々と流しつつ、次の手を考えましょう。
おわりに
こう書くと中国古典もカビが生えた書物ではなく、柔軟性のある生き生きとした「現代の書」でもあることが、おわかりいただけたと思います。
逆に言うと、人間って数千年経っても進化してないのよねーということも、痛いほどわかるのですけどね(笑