遊郭・赤線跡をゆく

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歴史探偵千夜一夜

大阪にあった幻の歓楽街!「此花カフェー街」

USJや万博で大阪市内の中でも最も羽振りが良いと思う知らんけどな此花区。此花区役所がここにありますが、ずっと不思議に思っていたことがありました。筆者ここだけ区画がなんだかおかしくね??周りの区画と比べて、ここだけなんだか違う…怪しいと感じま...
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淡路島唯一の遊郭 洲本遊郭(兵庫県洲本市)|遊郭・赤線跡をゆく|

ヒョーゴスラビア連邦の一角をなす、アワジネグロ共和国の首都スモト…もとい兵庫県淡路島最大の町洲本。以前は漁業と観光で栄えたこの町も、明石海峡大橋の開通により島全体が近畿と四国を結ぶ「廊下」となり人の流れが様変わりしてしまった今、寂れっぷりが...
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旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館) 第七章ーガス灯

謎のガス灯3階には、今となっては非常に貴重になった、ちょっと変わったものが残っています。和の家にある洋灯。なんだかアンバランスな感もありますが、これはガス灯です。西洋式のガス灯は明治時代に広まったのですが、室内だと火事の危険があるのと、煙の...
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記録映画『赤線』から見る吉原のカフェー|遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

赤線時代の吉原を映した貴重な映像(前編)(後編)昭和33年(1958)、売春防止法が完全施行となり赤線の灯が消えましたが、その寸前の東京吉原を映した映像が残っています。当時警視庁の風俗営業取締部門に勤務していた小野常徳氏が自らカメラを持ち、...
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旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館)の秘密 第六章ートイレ

妓楼はトイレも豪華だった!1階の奥に鎮座するは、トイレです。そのまま便所なのですが、同じものが3つある。これって意味あるの?と。意味があるから分けているという前提での私の勝手な想像ですが、やはり他の遊客と顔を合わせないよう、個室形式にしたか...
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相馬中村遊郭(福島県相馬市)|遊郭・赤線跡をゆく|

常磐線原ノ町駅にある「馬追像」相馬と聞いて、たいていの人がまず連想するのが馬追祭りでしょうか。私もまずそれを思いつきます。相馬氏は武勇や戦略眼に秀でた当主を多く輩出し、あのイケイケだった伊達政宗でさえも退けています。関ヶ原の戦いでも、堂々と...
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八日市延命新地(滋賀県東近江市)|遊郭・赤線跡をゆく|

近江の「駅前遊郭」の歴史滋賀県のローカル鉄道、近江鉄道の路線が合流する街、八日市。江戸時代から商業の町だった八日市には人・モノ・金が集まる。そこには当然、色街もできあがりました。遊郭はその八日市駅の南側に位置し、俗に「延命新地」と呼ばれてい...
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旧川本楼(町家物語館)の秘密 第五章ー格子と玄関の仕掛け!?

奈良県大和郡山市にあった洞泉寺遊郭。またの名を「又春廓」その中に残るのが「旧川本楼」。大和郡山市が税金で買い取り残した遊郭の元妓楼で、現在は「町家物語館」として無料公開されています。ここの基本的な説明は、大和郡山市のHPを引用します。「町家...
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函館の「準遊郭」① 鉄砲小路 映画の舞台にもなった私娼窟|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭と私娼函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました...
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函館遊郭列伝 第三章 大森遊郭|遊郭・赤線跡をゆく|

函館の遊郭その3 大森遊郭筆者江戸時代〜明治中期の函館遊郭については、こちらをどうぞ!火事で焼けた函館の遊郭、またもや移転を命じられます。函館市立図書館デジタルアーカイブより。「新」とついているので、遊郭ができた頃のものと思われ。函館市立図...
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中書島の遊郭跡 『赤線跡を歩く』にも掲載されたカフェー建築

京都市南部にあった中書島の遊郭には、『赤線跡を歩く』にも掲載された、あざやかな色使いのカフェー建築があったことを知る人も少なくなった。
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元妓楼から出てきた飛田新地の地図を考察する。

妓楼から出て来た古い飛田新地の地図とある遊郭の元妓楼(貸座敷)から、あるものが出てきました。箪笥の内側に地図が貼られていたそうなのですが、よく見ると「飛田新地」の文字が!そう、これは在りし日の飛田新地の地図なのですが、これはもはや古文書が見...
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