遊郭・赤線跡をゆく

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遊郭・赤線跡をゆく

府中遊郭(東京都府中市)|遊郭・赤線跡をゆく|

東京の府中市、非東京民の中では東京の郊外市の中でも知名度が低めですが、鉄道が交わる交通の要衝であり、刑務所があり、そして競馬場がある。個人的には、東京外大と多磨霊園があるところというイメージです。宿場町(イメージ)府中は元々、甲州街道の宿場...
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敦賀遊郭(福井県敦賀市)|遊郭・赤線跡をゆく|

敦賀の色街の歴史は古く、『太平記』の延元元年(1336)に、敦賀に遊女がいたことが記述されています1。近世になり、江戸幕府がオギャーと産声をあげたばかりの慶長10年(1605)に上川嶋寺町の遊女たちが三ツ屋町・六軒町に遷されたことが、当時の...
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信太山新開地(大阪府和泉市)|遊郭・赤線跡をゆく|

「信太山」と聞いて読者の皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。自衛隊に風俗街。おそらくこの二つだろうと思います。自衛隊はおおっぴらに書くことができても、風俗街はなかなか公には語られません。しかし、「現役」にもちゃんと歴史がある。歴史がある以上...
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長浜南片町遊郭(滋賀県長浜市)|遊郭・赤線跡をゆく|

長浜は、言わずと知れた羽柴(豊臣)秀吉が初めて城主となり開発した町です。そんな長浜が今、あることで盛り上がっています。それはノーベル賞。2025年ノーベル医学・生理学賞受賞者の坂口志文氏はここ長浜生まれ。学校も地元の小中高を出て京大へ進んだ...
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阿部定がいた「大正楼」は本当に大正楼なのか? 京口新地の謎

兵庫県丹波篠山市にあった遊郭、通称「京口新地」にあった「大正楼」…とされる元妓楼。かの阿部定も娼妓として働いていたことで、一躍有名になりました。2025年10月撮影残念ながら崩壊の危険があると2019年に解体され、数年間の更地を経て現在はア...
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阿部定も働いていた遊郭 京口新地(兵庫県丹波篠山市)|遊郭・赤線跡をゆく|

篠山の遊郭の歴史関西の、どちらかというと内陸の奥地に属する今の丹波篠山市は、武家屋敷が現在でも残る観光の町。今は歓楽街とは無縁のせいか、遊廊とか赤線ってイメージが全く思い浮かばないですが、その昔、確かに遊郭は存在していました。今回は、そんな...
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旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館) 第八章ーハートマーク(猪目)

奈良県大和郡山市にあった洞泉寺遊郭。またの名を「又春廓」その中に残るのが「旧川本楼」。大和郡山市が税金で買い取り残した遊郭の元妓楼で、現在は「町家物語館」として無料公開されています。ここの基本的な説明は、下記のアコーディオンの中に書かれてい...
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函館の「準遊郭」② 堀川新地|遊郭・赤線跡をゆく|

函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました。が、そんな大森...
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水戸の色街物語② 大工町(茨城県水戸市)|遊郭・赤線跡をゆく|

水戸の老舗花街、大工町・泉町水戸市の中心部に、泉町・大工町という場所があります。水戸の古くからの花街は、下市(南部)の竹隈町と上市(北部)の大工町が存在しており、明治初期の記録にはすでに存在するので、江戸時代からあった歓楽街だったのでしょう...
歴史探偵千夜一夜

大阪にあった幻の歓楽街!「此花カフェー街」

USJや万博で大阪市内の中でも最も羽振りが良いと思う知らんけどな此花区。此花区役所がここにありますが、ずっと不思議に思っていたことがありました。筆者ここだけ区画がなんだかおかしくね??周りの区画と比べて、ここだけなんだか違う…怪しいと感じま...
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淡路島唯一の遊郭 洲本遊郭(兵庫県洲本市)|遊郭・赤線跡をゆく|

ヒョーゴスラビア連邦の一角をなす、アワジネグロ共和国の首都スモト…もとい兵庫県淡路島最大の町洲本。以前は漁業と観光で栄えたこの町も、明石海峡大橋の開通により島全体が近畿と四国を結ぶ「廊下」となり人の流れが様変わりしてしまった今、寂れっぷりが...
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旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館) 第七章ーガス灯

謎のガス灯3階には、今となっては非常に貴重になった、ちょっと変わったものが残っています。和の家にある洋灯。なんだかアンバランスな感もありますが、これはガス灯です。西洋式のガス灯は明治時代に広まったのですが、室内だと火事の危険があるのと、煙の...
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