天王寺から阪和線の各駅停車に乗って数分、すると美章園という駅に到着します。
特急や快速でぶっ飛ばすと視界にも入らない通過駅の一つですが、昭和初期に鉄道の開通と共に住宅地として開発された地域の一つです。
美章園駅とその周辺の歴史は別記事で書くとして、本記事では、「美章園(駅)」という駅名・地名について、長年語られてきたある伝説を破壊していこうという、楽しいイベント記事です。
美章園の由来の人物は存在しなかった!?
美章園という名前の由来については、以下のこんな話が定説となっています。
大阪鉄工所社長や大阪商船副社長であった大阪財界の山岡順太郎氏の父山岡美章氏が、大正年間に設立した「美章土地株式会社」がこの付近の宅地の開発に努めて、発展の基礎を築いた
大阪市阿倍野区HPより
また、Wikipediaには以下のように書かれています。
駅名の由来は、大阪の財界人である山岡美章が大正年間に設立した美章土地株式会社がこの駅の付近の土地を住宅地として開発したことに由来する。ただし、開発したときの美章土地の経営者は大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現在の商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた息子の山岡順太郎である
Wikipedia「美章園駅」より
この二つの記述がツートップとして一人歩きしてることもあり、他のサイトの記述もこれに右に倣えしています。
特に、阿倍野区の記述は短いながら行政機関のHPということもあり、ある種の権威を持っています。行政機関が間違えないだろうという、日本人のお上を信じる気質もあるでしょう。
しかし、長く歴史調査兵団をやっていると、そんな権威ですら完璧ではない出来事に出くわすことがあります。それもけっこうな数。よって、そんな定説や常識を
ホンマか?
疑ってみると、今まで霧で見えなかった何かが見えてきます。そして、それがひっくり返った時の、ものすごく視野が開けたような感覚、これは自分でコツコツ調べある境地にたどり着いた者にしかわかりません。
ただ、疑いすぎるとただの人間不信として変な人扱いされるので、人前ではあまり出さないようにしましょう。
私が疑った何かは、「美章園を造った男」こと山岡美章という人物の存在。上の紹介のように自分の名前を冠した「美章土地株式会社」という土地開発会社の社長だったようですが、ググっても出てこない。全面リニューアルされた国立国会図書館デジタルコレクションで人名検索しても出てこない。当時の名士録を見ても該当人物なし。
そして深く掘り続けていくと、ある衝撃の事実とぶつかることに。まずは、その信じがたい事実を述べなければなりません。少なくても、ネットでは私のこれが初公開です。
「美章園を造った男」として、現在でも美章園という駅名・地名に名を残している山岡美章は…
明治16年に亡くなっています1。
…重要なのでもう一度書きます。
山岡美章は明治16年(1883)、金沢で死去しています!!!
よって、明治初期に金沢で亡くなった人が、「大正年間」に大阪で会社を設立できるわけがない。美章土地株式会社が設立され美章園が開発された時には、山岡美章なる人物はこの世に存在しなかったのです。「転生したら不動産屋だった」ならそれもあり得ましょうが、これは現実世界の話なのであり得ない。
これで一つ、「大阪市の常識」が音を立てて崩壊しました。あ〜カ・イ・カ・ン(笑
では、「美章土地株式会社」は誰が造ったのか?そもそも美章園って何なん???もしかして、これも実は存在しなかったというオチ?
いえいえ、会社はさすがに存在していました。といっても、不動産会社なのに電話がないのはすごく怪しいですが…これは私の推論を含めて後述します。
事の顛末を語る前に、まずは山岡順太郎という人物を解説しなければなりません。
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