シン・美章園物語 第二章 現在に残る美章園の夢の跡【阪和線歴史紀行】

大阪市阿倍野区美章園の歴史近代建築これくしょん

スポンサーリンク

そのバクチ…私の勝ちだった!

どうせダメ元、ダイエットついでの散歩と思って元祖美章園と思われる場所を探してみると、

美章園に残っている洋風建築近代建築

早速一軒、それらしき住宅を見つけました。戦前型か戦後すぐくらいに建てられたと思われる、何軒か連ねている長屋風住宅。3軒目は全く新しくなっていますが、その奥の4件目も同時期くらいの古さがある感じがします。

美章園美章土地がつくったと思われる洋風建築

こちらも長屋風の建物。周囲に残っているのはこの一軒のみですが、昔は同じような様式の建物が何軒か連ねていたのだと思われます。

大阪の美章園にある近代建築

こちらも、戦前型住宅、中級サラリーマン向け分譲住宅の面影がある家です。1階部分のかまぼこ型の窓が非常にアクセントになってておしゃれです。
家自体はリフォームされていますが原型をよく残しており、家主さんのこの家への愛着が感じられます。

昭和初期建築の証、丸窓もちゃんと残っています。最初の長屋の丸窓は和風の面持ちでしたが、こちらは洋風。丸窓でもよく見ると少し趣向が異なってくるんですよね。

エリア的には5分も歩けば1周できるエリアなのでさほど広くもない。しかし、暑さ、否、熱さと表現しても良いほどの天候の中、流れ出る汗を拭いながら細かいところまで見てみると、戦災で焼けたエリアには古い建物がけっこう残っています。
近代建築マニアもここは穴場だったか、彼らのブログには美章園はほとんど紹介されていません。

よくぞここを見つけた…ご褒美にこれをあげよう…と神様のプレゼントか、最後の最後に神様はとんでもない建物を用意してくれました。

美章園の美章土地株式会社が手がけた近代建築

こちらも中級サラリーマン向けの邸宅っぽいですが、これは建て方からして明らかに昭和初期。美章土地が手がけた「美章園」の名残かもしれません。

興奮を抑えきれないまま家に近づいてみると…

美章園に残る洋風建築近代建築

丸窓にプラス、ステンドグラスが!洋間のインテリアも兼ねてでしょうか。
ブログで何度か述べているように、ステンドグラスってけっこう高いのです。今でも制作費は高い。よって、中級サラリーマン向けといっても家にステンドグラスを填め込んでいるのはかなりの贅沢。
こちらのステンドグラスは、海の上に浮かぶ帆船でしょうか。難波津時代の大阪だろうか、いや、もしかして主の方が船会社関係の人だったかもしれない…ステンドグラス1枚で想像力がどんどん膨らんでいきます。

残念ながら、こちらは現在、主はなく売家となっています。美章園駅から徒歩ン分どころか、人並み+αの脚力があれば天王寺駅まで歩ける距離。お高いんだろうけど、お金があったらここ欲しい、修復したい、住みたい…誰か1億円ほど貸して、返す見込みないけど(笑

ダメ元で行った美章園調査兵団、今回は見事に当たり。予想以上の収穫にホクホク顔です。
まだ資料が足りないので、ここが本当に美章土地が開発した住宅地だったという確証は持てません。
が、ここを私は美章園の原点、「シン・美章園」と呼びたくなる、今回はそんな歴史探偵でした。

阪和線の記事は、こちらもどうぞ!

スポンサーリンク

コメント

  1. 清水聡 より:

     いつも記事提供ありがとうございます。数多くの知らないことを教えていただきありがとうございます。さて、「大阪市内にあった市立高校も同じ年にすべて「府立」に移管された」とありますが、大阪市立の高校ながら枚方市にあったその名も「大阪市立高校」。同時期に府立化され「大阪府立いちりつ高校」の例もあります。

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました