東岡町遊郭は、奈良県大和郡山市にかつて存在した遊里です。
明治時代初期に設立されたとされ、戦後の売春防止法施行まで遊郭・赤線地帯として栄えました。
売春防止法施行でいったん廃止になったものの、実はこっそり営業していたのは、往年の紳士諸君なら知る人ぞ知る事実です。
本記事は、東岡町遊郭の場所、歴史、現在の様子などをわかりやすく解説します。
東岡町遊郭の概要
東岡町は、「金魚の町」こと奈良県大和郡山市の南部にある町です。
近鉄橿原線「近鉄郡山」で下車して、南へ5分ほど歩くと、かつての遊郭の入口へ到着できます。
赤線時代を知る地元の方の話によると、夕方から夜にかけて近鉄郡山駅から東岡町へと続く道に灯と人が絶えることがなかったほど賑わったといいます。
東岡町の歴史ー遊郭から赤線まで
東岡町の成立時期ははっきりしていません。が、1879年(明治12)には存在していたことが統計書からはっきりしています。
史料にはない謎の衰退期を経て、大正後期から遊郭敷地の拡張により規模が爆発的に発展し、昭和初期には奈良県一の規模の遊郭として隆盛を極めました。
戦後は、大和郡山のもう一つの遊郭、洞泉寺遊郭と共に赤線へ移行、売春防止法まで営業を続けましたが…。
歴史の詳細は以下の記事をご覧下さい。
東岡町遊郭跡の現在
「いろいろあって」(いろいろな理由は、歴史編をご覧下さい)平成まで営業を続けていた東岡町、現在はふつうの住宅街になっています。
奈良県一の歓楽街だったことが信じられないくらいに…。

遊郭・赤線時代をしのばせる建物は残っているのでしょうか。詳細は以下の記事に書かれています。
まとめ
東岡町遊郭について、箇条書きにして以下のようにまとめます。
- 東岡町遊郭は最寄り駅の近鉄郡山駅から徒歩5分ほどの位置にある
- 遊郭の具体的な成立時期は不明だが、明治10年代には存在していた
- 大正後期から急激に発展
- 遊郭から赤線へ、売防法施行後も平成元年まで隠れて営業していた
- 現在は静かな住宅街になっている
- 建物の老朽化で、遊郭・赤線時代の建物がどんどん解体されており、残っているのは数棟しかない
関連記事
◆大和郡山にあった遊郭(東岡町・洞泉寺)の総合案内はこちらをご覧下さい。
◆東岡町遊郭・赤線の明治〜昭和の歴史の深掘り詳細記事はこちらをご覧下さい。
◆東岡町遊郭・赤線跡の散策・街歩き・妓楼跡の記事は、こちらをご覧下さい。
奈良を含めた関西の遊郭一覧まとめ記事です。






コメント
米澤様
いつもながらサスペンスを読むようにドキドキさせて頂きました。
仕事の関係もあって大和郡山にはよく行きますが、奈良県警の関係の方や源九郎神社の社務所の方々皆さんここを「おかまち」と呼んでおられました。住居表示とは別の俗称なんでしょうね。
ここらか道路を挟んで北側にある『紀元二千六百年記念碑』の先の一画と、南側に広がるバラック住居群もいつも気になります。
また近鉄の向う側の妙な建物については旧川本邸の案内の方から、この地に生まれた『日本少女歌劇座』の本拠地だと伺いました。
そろそろこの街も見納めのようですね。
>東京YSさん
ここ、「岡町」と呼ぶ人がいて、ブログによっては敢えて「岡町」と書いている人もいるのは知っているのですが、私はあくまで公式として「東岡町」としておきました。
「日本少女歌劇座」のことは初めて知りましたが、調べてみるとなかなかネタになりそうな歴史ですね。もし本当に西岡町の建物がそうなら、なかなかの文化財ですね。今ふつーの民家になってますけど…
はじめまして。街ブラを趣味としている者です。
「吉乃」の看板がある物件ですが近隣の方にお話を聞くことができました。
その屋号で営業を予定し取り付けられたものの、営業されず終わってしまった名残だそうです。
全国遊廓案内などに記載がないのもその為と考えられます。
>えにさん
はじめまして、拙ブログをお読みいただきありがとうございます。
「吉乃」の件、情報をありがとうございます。未完の店でしたか、そりゃ載るわけがないですね。
この件、本文に追記させていただいてよろしいですか?
はい、是非お使い下さい。