かつて、岸和田市にある「きしわだ自然資料館」という場所を訪問しました。以前は岸和田市民だった私にとっては、数年ぶりの岸和田の地でした。
自然科学の展示が中心の岸和田市の施設ですが、この時の用事は自然科学にあらず。
あるご縁で施設の方と出会い、戦前の阪和電鉄や南海電鉄の資料を、業務半分趣味半分でコレクションしてらっしゃると聞き、ご好意でそれを見せていただくことになりました。
こんなのや、
(戦前の南海鉄道浜寺海水浴場のパンフ。昭和11or12年)
こんなの、
そして、幻の阪和電鉄ミッキー(オレンジバージョン)まで。ネットでは知ってたけれども、現物を見るのは初めての貴重なコレクションの山盛り。
私のブログを見て訪問者の予習をしてくれたそうですが、中身を見てこりゃただの好奇心ちゃうなと手持ち資料のほとんどを持ってきてくれました。有り難いことです。
そんなことは知らない本人、来館前は、
1時間くらいで見終わるっしょ~フフフン♪
と軽い気持ちだったのが、結果的に午後ずっと居座り、気づいたら閉館してました。
そんな貴重な資料の山の中、ある古い絵葉書が目に止まりました。
なんのこともない、個人から個人宛のご機嫌伺いです。
収集した館員の方も、
「ああそんなのありますね」
それほど気に留めていなかった様子ですが、私は逆にこれが気になって仕方がない。
理由は、この葉書が「海軍兵学校」から送られたということ。ということは、送り主は兵学校生徒ということになるでしょう。「酒保発行」とあり、「兵学校ブランド」の絵葉書がおそらく生徒向けに販売されていたことがこれでわかります。
兵学校と言えば当時のエリート校にして最難関校。と同時に、進学希望だが経済的に無理…という優秀な青年の受け皿としての機能もありました。それは陸軍の士官学校も同じです。
入学すると、「学費無料、お小遣いもくれる上に就職率100%完全保証」という特典付き。
故郷に帰れば、親ほどの年齢の駅長が直立不動でお出迎え。駅を出れば「兵学校生徒○○君おかえりなさい」なる幟が立ち、地元新聞には「兵学校生徒○○君、帰還す」と記事になる。さらに、女学生にはキャーキャー追いかけ回されるオプションも付けば…血潮あふれる男どもが熱望しないわけがない。
送り主の名は妹尾知之。
どんな人物だったのか、ひとまずググってみる価値はある。
その場で早速ググってみると…ほう、なるほどね。