関西アーバンネットワークのエース的存在として活躍しているJR阪和線。元々は阪和電気鉄道として昭和4年(1929)に開通した私鉄なのは、拙ブログを見ていただいている方には周知の事実。
私鉄としては10年強と短い寿命の鉄道だったのですが、「超特急」という当時としては常識外れのスピード列車を走らせるなど、伝説の私鉄として鉄道史の世界に燦然と輝いています。
阪和電鉄は、ただのスピード狂の鉄道会社ではありませんでした。鉄道以外にも様々な事業に手を出していました。
関西の鉄道会社では常識だった住宅地経営(上野芝の向ヶ丘町や霞ヶ丘など)はもちろん、射撃場やゴルフ場まで経営していたそのマルチぶりに、そこまで手を広げて大丈夫なのか!?と冷や汗をかいてしまいます。
その一つに、大阪府南部の泉南地域(現在の泉南市)に作られた「砂川遊園」というものがあります。名前のとおりの遊園地で、200万年前の洪積期に形成された砂岩が堆積し、地殻変動により隆起して丘陵となった「日本のカッパドキア」こと「砂川奇勝」を含めて、一大観光地として地主と共に開発したものでした。「砂川」の地名も、奇勝の砂が川のように流れた姿から名付けられたものでした。
阪和電鉄もかなり気合いが入った開発で、阪和電鉄が掲載した新聞広告に占める砂川遊園・奇勝の割合は3割から4割。これだけでも阪和電鉄が砂川遊園・奇勝に賭けた思いがわかると思います。
砂川遊園は、昭和10年(1935)にオープンしたものの、のちの阪和電鉄の消滅や戦争の激化で人知れずなくなり、現在でも「命日」がわかっていない悲劇の遊園地となりました。
その他詳細は、巻末に砂川遊園・奇勝の詳細を書いたページを貼っておくので、興味がある方はどうぞ。
ところで、砂川遊園には、ひそかに伝えられているもうひとつの伝説があります。
それは、ある意味日本初のものでした。
砂川遊園のイメージキャラクターとして、あのお方が使われていたと言われる伝説。
そのキャラクターとは…
この御方です。
も、もしかしてあのお方なのか!?
そんなまさか・・・あのお方のランドが日本に出来たのは、確か1983年のはず…。
しかし、事実は小説より奇なり。
それでは、衝撃の事実をご紹介します。Are you ready?
⑤
④
③
②
①
!!!!!!
決してフォトショップで作成したコラ画像ではありません。
砂川遊園のキャラクターにミッキーマウスが使われていた
という話は、昔から小耳には挟んでいました。が、砂川ミッキーマウス伝説は噂ではなく真実でした。
『阪和電気鉄道史』には、ネズミーがプリントされたパンフは「緑」と「オレンジ」があったと書かれていますが、幻のオレンジを間近で見ることができました。画像は読者さんへの与福として。
(大阪歴史博物館の展示より)
緑ミッキーも、誰かが寄贈したのか大阪歴史博物館に常設展示されています。『阪和電気鉄道史』によると、オレンジは昭和11年(1936)、緑は昭和12年(1936)のもので、オレンジはヤフオクに出品されたのを過去2回確認済み、実は私も某古本屋でGETし所有しています。
が、緑は古本屋サイトも含めて見たことがありません。神保町の古本屋にも探りを入れてるのですが、出たよ~という連絡は来ていません。古本市などで緑見たよ~という方、どうか私までこっそりご連絡下さい。
阪和電鉄がその熱意と夢を込めた砂川遊園、実は、
「日本初の? XィズニーXンド」
「※ィズニー※ンド 第0号店」
「砂川 @ィズニー@ンド」
(良い子の夢を壊さないように伏せ字で表示しております。お察し下さいw)
だったのです!?
日本初のネズミ園は、実は大阪にあった!?そして戦前からあった!?
皆が知らない衝撃の事実・・・
もしかして、日本の歴史がここで変わったのかもしれない!?
もしかして、ミッキーマウスの生みの親はウォルト・ディズニーではなく、実は阪和電鉄かもしれない(違
もしかして、浦安の方がニセモノかもしれない(コラ
しかし阪和電鉄さんよ、これってちゃんとライセンス取ってるんやろな!?
…取ってるわけないか(笑
砂川遊園・奇勝の記事はこちら!
阪和線の歴史記事はこちらをどうぞ
コメント
『なんでやねん』の識者でレギュラーいけるんじゃないですか・・・?
こんばんは。1日に1回は覗いてます。面白いです。年齢的にも同年代と言うこともあり毎回楽しまさせてもらってます。こちらも似たような所に居住しておりもしかすると知ってる方なのか?と思ったりしてます。今回の文のなかで「ねずみ園」最高にウケてしまい思い出してはニヤニヤしてます。探求心は脱帽ものですがユニークな文面にセンスを感じます。ちなみに中国でのねずみ園開演以前や2000年位のインドにもライセンスの無いマウスさんを見ました。これからも楽しみにしてます。