私のライフワークの昭和史とグルメ。
一見、なんの接点もないような二つの言葉ですが、それが密接に絡み合う場所が各地に存在していたりします。
大阪の証券街、北浜にある「高麗橋野村ビル」というビルです。昭和2年(1927)に、今の野村證券などの前身である野村財閥が築いた貸ビルです。
大正後期から昭和初期の建築によくある曲線的な建築もさることながら、1階に注目。
そう、あのサンマルク(大阪北浜店)がテナントに入っています。ン百円のコーヒーを飲みながら昭和の名建築を満喫できる知的なデートスポットとして、世の昭和マニア百万人の注目を浴びています。
ところで、サンマルクのコーヒーって一杯なんぼでしたっけ?最近行ってないから忘れちゃったい。
もう一つがここ。
写真を見ただけで、タダモノではない威厳を醸し出す大正モダンの建築、「青山ビル」です。
1921年(大正10年)に建てられ、国の有形文化財にも指定されている大阪のレトロ建築の一つですが、中に「桜屋珈琲館」という喫茶店があります。
私も大阪市の真ん中で働いていた時、外回りするフリして何度か行ったことがあるのですが、こんな名前だったっけな?何かしっくりいかない違和感を感じたので、調べてみたら!
先代は「丸福珈琲店」で、銅板のホットケーキに品を感じる良い喫茶店でした。このホットケーキが美味かったのですが、残念ながら閉店になっていたようです。
あのホットケーキ、もう一回食いたかったんやけどなーと思ったら、「丸福珈琲店」はチェーン店だったのか。なら他の店で食えばいい。
それはさておき、青山ビルは中もあまり改築されていない、昔ながらの雰囲気を残すビルであります。その中の落ち着いた雰囲気の喫茶店で休憩でも如何でしょうか。
しかし、これはあくまで一例。大阪市内だけでも探せばいくつかあるのですが、意外な場所に意外なものがあることもあります。今回は、そんな建物の紹介とグルメが同時に出来る、素敵なスポットを。
大阪港にある素敵な近代建築-天満屋ビル
場所は大阪市の西側、大阪港。
実は世界でも有数の水族館らしい海遊館の最寄り駅として、新型コロナウィルスが蔓延する前は外国人観光客でごった返していた魅惑のスポットであります。
実際に地下鉄中央線に乗ると、左から中国語、右からインドネシア語、前から英語が聞こえてくる無国籍ゾーン。日本人である私が少数民族な気分を味わいました。中央線乗っていたら、間違ってシンガポールにでも着いたのかと。
そして彼らは、予想通り、全員大阪港で下車。みんな同じ方向に向かって歩いてゆく。目的地はやはり海遊館のようです。
私の目的地は海遊館ではなくむしろ逆方向。嬉々としてとして天保山方面に向かう彼らに背を向け、大阪港駅から歩くこと3~4分、平行して走る地下鉄中央線が終点のコスモスクエア駅に向かうため、地上から再び地下に潜るあたりの地点に、それはあります。
このボロそうな…失礼、レトロな建物が今回の目的地です。
この建物の名は『天満屋ビル』。
入り口の形や窓の配置だけでもなんだか宇宙船のように見える現代的なデザインですが、これでも昭和10年(1935)に竣工した築85年のレトロ建物です。
昭和9年(1934)、日本史上最凶台風の呼び名が高い室戸台風が大阪を直撃、大阪港は高潮により壊滅的な打撃を受けます。ここあたりの海抜はほぼ0mなのですが、そこに4mの高潮が…東日本大震災の津波に匹敵する水の壁に襲われたのです。
このビルが建てられたのが翌年。大阪港復興の一つとして目立ったことでしょう。
なお、大阪港は度々高潮の被害を受けます。特に昭和20年(1945)は6月の空襲により港区の焼失率9割とほぼ「更地」にされた上に、9月の高潮で再び壊滅。泣きっ面に蜂とはこのこと。その後、大阪市は20年の時間をかけ港区全体のかさ上げが行われました。
実はそのかさ上げの面影が天満屋ビルに残っています。
天満屋ビルは3階建てですが、どう見ても「2階建て」にしか見えません。実は1階部分が戦後のかさ上げで「地下1階」になってしまったのです。2階も「準1階」のようになっていますが、1階部分がほぼ埋まるほど戦後に盛り土がされたのです。
正面から見てみると、このビル、非常に格好いいです。昭和モダニズム建築界のイケメンとでも申しましょうか、りりしい顔立ちをしておられます。
メンテ不足で所々老朽化していますが、逆にそれが渋さを醸し出しているかのような威厳を保っています。人間で言えば、還暦を越えてもダンディーな俳優のよう。しかし、所々にある丸窓が少しお茶目な感じを持たせています。
こういう洋風建築にはアクセントとして丸窓を使っていることが多いですが、これは大正時代~昭和初期にかけて流行った飾りです。逆にいうと、丸窓がある建築は大正後期~昭和20年前半までの建物とすぐに推測もできます。
天満屋ビルは、大阪港という国内外から船が集まる国際貿易港のイメージから、曲線を多用することによってフネのイメージを模したものなのでしょう。
飛行機が遠距離交通の主役になるまでは、もちろんフネが主役。規模や取扱量は天然の要港である神戸港にはかなわないものの、大阪港も市が大金をかけて整備したこともあり、立派な港が出来上がりました。現在でも「輸出:神戸」「輸入:大阪」という棲み分けが出来ており、国際的には二つ合わせて「阪神港」扱いです。
それはさておき、海外の船乗りたちが一仕事終え、日本の地に足を踏み入れた先に見えるのが、地理的にこの建物だったと思われます
今の天満屋ビルは、戦後に大阪港周辺が埋め立てられたため、海から少し離れた場所にありそうですが、ビルが出来た当時は海が目の前にありました。それも波止場の眼の前。船乗りたちが船を降り日本の地に降り立った時、まず目につく位置にあります。
当時としてはかなり攻めたデザインの建物に、彼らは
おお、モダーンだぜ!!
と叫んだのかもしれません。
天満屋の隣のビル
天満屋ビルのモダンさにため息をつきつつ、ふと視界を横に向けると、実はレトロ建築なのです。
商船三井築港ビルです。
お隣の天満屋ビルほどの強烈さはありませんが、明るい色のレンガを使ったおしゃれな建物です。天満屋ビルが男性的なら、こちらは女性的。いい「カップル」なのかも。
1933年(昭和8年)に、三井工務店などによって建てられたのですが、とても築80年以上とは思えない。メンテがしっかりしているのか、それとも最近リフォームされたのか。と思ったものの、過去の写真と見比べても外観はほとんど変わりがない。おそらく当時のままなのでしょう。
『築港麺工房』といううどん屋が、入口に堂々と店を構えています。ここの薬膳カレーうどん、なかなか独特なとろみと味でやみつきになりそうです。
で、今回の本題はここではありません。
コメント
いつも楽しく拝見しております。
港区築港に住んでいるのですが、築港の交差点(大阪メトロ大阪港駅)の4番出口を降りるとファミマがあって、東隣に萬集楼という中華料理店があります。
戦後に今の築港に越してこられたようですが、
初代は山東省出身とのこと。
川口旧居留地に山東省からの人々が来られたのが1895年~1899年の貴兄の以前の記事で拝読しております。
川口に華商が多くいた時代を知っているお店なのかも知れません。
お店HPには、はっきり山東省料理と書かれています。
(味は四川ぽいのが多いですが)
義和団事件の直前ですね。帝政ドイツの入植に鬱憤のあった時代でしょうか。
長文、失礼しました。
>た~ちんさん
はじめまして、いつも拙ブログをお読みいただきありがとうございます。
「中華」ではなく「山東」と書いてあるのは珍しいですね。港区なので西区の川口との絡みはわかりませんが、もしかして川口華商の子孫かもしれないですね。