三光神社に残る戦争の傷跡

大阪環状線の玉造駅から西へ徒歩5分にある真田山に、三光神社があります。
見た目に反してかなり古い神社で、神職は世襲制で現在は86代目だそうな。

ここが全国区で有名になったのは、大河ドラマの真田丸から。
神社がある真田山には、戦国の世の終わりを告げた大阪の陣で真田幸村が築いた「真田丸」があった場所とされ、境内にはその時に作られたという抜け穴もあります。
それからここが大河ドラマの「聖地」となり、巡礼者が今も絶えないのだとか。
今の時代らしく、神社のインスタページもあります。
そんな神社にも、先の戦争の傷跡が残されているのです。

神社東側の入口の鳥居の前には、片足だけになった鳥居の「かたわれ」が残っています。

神社があった周辺は、大阪城近辺の陸軍の工場(陸軍工廠)や第4師団など軍の施設に近かったせいか、かなり集中砲火を受けています。
元の鳥居は、昭和20年(1945)6月の空襲で破壊されました。

片柱だけ残った鳥居には、
「国家安泰平和祈願」
と刻まれ、

裏側にはこんなメッセージが刻まれています。
昭和二十年六月戦災を蒙り倒壊その片柱をここに留む
三光神社奉賛会
鳥居は撤去されるはずだったのですが、敢えて片方だけ残して「戦争遺構にする」というメッセージなのです。
本殿前にもある一本足の鳥居
神社の本殿前にも、片側だけ残されている鳥居があります。

鳥居の手前に、もう1柱の鳥居が見えます。
手前の鳥居は古い方のもので、こちらも6月の空襲で破壊されたものだと伝えられています。
しかしこの鳥居、片方だけなんだと無視されがちなのですが、よく見ると名前が刻まれたいます。それを見てみると…

陣幕・不知火・藤島(嶋)など、昔の大相撲の力士の名前が刻まれています。建造の寄贈者だったのでしょう。
ほとんどが年寄名跡として残っている、相撲を知っている人なら伝説のビッグネームばかり。不知火は横綱土俵入りの「不知火型」にその名を残している大名跡です。
三光神社と相撲、何か関係があったのでしょうか。
もう一つの戦争遺構か!?
三光神社を訪ねた時、ふと気になったことがありました。

上の部分がやけに「黒ずんでいる」のです。
それをキーに境内を歩いてみると…

こちらもかなり黒ずんでいます。

ネットではほとんど取り上げられていないのですが、これ空襲の焼夷弾の煤の跡ではないだろうか。
同じようなものは、全国至るところで見られるものなので、これもその可能性がありそうですね。

現在も残る大阪市内の戦争遺構は、下をクリックしてみてね!




コメント