
昭和30年代の津久野駅前の俯瞰写真ですが、津久野駅前のロータリーと向ヶ丘第一団地の姿が見えます。
奥には建設中の向ヶ丘第二団地がうっすら見えます。第二団地は昭和40年(1965)完成なので、おそらく津久野駅開業の昭和35年(1960)の頃ではないかと思います。

津久野駅は公団団地と共に生まれた駅。その前は駅も団地も跡形もありません。
当時は津久野ではなく「踞尾」(読みは「つくの」または「つくのお」が正しい)と書き、上の航空写真の右側が踞尾地区。
源義経が立ち寄った伝説があり、昭和17年(1942)に堺市に吸収されるまで踞尾村として1000年以上独立した村でした。
個人的見解ですが、昔の海岸線を考えると縄文時代から集落があったのではないかと。
こんな大きな集落になんで駅を作らなかったのだろうか?踞尾村の人は阪和電鉄に

ここに駅つくってよ!
と言わなかったのか?
そんな疑問があったのですが、結果だけ言います。ちゃんと請願して阪和電鉄も作ると約束していました。口約束だったので有耶無耶にされたそうですが…。
そして戦後、踞尾村の隣に団地を作ることになり、念願の駅ができることになったのですが!!

駅の名前は踞尾じゃなく「○○○」ね!
駅の建設予算を出したのは公団さん。「○○○」はお客様のご要望だから決定。
お前ら村民金出してねーじゃん、金出さずに口だけ出すわけ?💢
と塩対応。さてどうする踞尾村!この結末は!
ちょっと待ってねブログ建設中…



「色々あった」ものの、昭和35年(1960)9月1日に無事津久野駅が開業しました。
。左側が天王寺方面(『堺市の昭和』).jpg)
開業2年後の昭和37年(1962)頃の津久野駅の北側、つまり駅舎がある裏側とのこと。
今でこそ色々できた津久野駅「裏側」ですが、私が小学生の頃も、ここまで雑草が生えてはなかったですが、似たような感じだった気がします。

昭和39年(1964)津久野駅前と津久野駅前団地。
向ヶ丘第一団地は老朽化のためにすべて取り壊されましたが、写真の駅前団地は現役で残っています。

このように、「日本住宅公団」という骨董品のような看板も残っており、昭和、平成、令和と時代を経て昭和レトロの遺品となりつつあります。
航空写真で見ると昭和37年(1962)には存在していたので、すでに築60年以上。
それでも駅から徒歩0分の絶好の立地のせいか、空き部屋がない人気物件になっています。
しかし、そろそろ寿命という気もしないでもないので、そろそろ写真でも撮りに行かねばと思っています。

昭和48年(1973)、向ヶ丘第一団地内。祖母と孫とのスリーショット。こたつの上にかるたのようなものが載っているので、正月の写真でしょうか。
たぶんですが、母親が撮影したものかな〜と、想像力が膨らむ写真です。
写真のかわいい子ども二人も、今年で還暦を迎え左のお婆さんの年齢になる頃でしょうか。

津久野駅界隈にスーパーダイエーが開業したのは昭和47年(1972)11月30日。
私が住んでいた頃には店の敷地内に、当時はダイエー系列だった「ドムドムバーガー」があり、よく食べに行ってた記憶があります。
ダイエーの道を隔てた隣には、現在はマンションになっていますが、昭和の時代は「ボウルジャパン」だったか「ジャパンボウル」だったか、ボウリング場でした。
1970年前後はミニスカと共に空前のボウリングブームでしたが、その頃にできたボウリング場だったのでしょう。
ここでボウリングやゲーセンでゲームをした思い出がある人も多いでしょう。

以前、神戸のダイエー資料館に保存されていたチラシから偶然見つけた、1989年(平成元)12月のダイエーのチラシです。

対象店舗に「津久野店」と「おおとり店(ウイングス)」の名前を見つけ、懐かしい気分になった次第です。
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