阪和電鉄の写真に写る意外なもの…
実働は10年ちょっとだったものの、「超特急」など数々の伝説を残した私鉄、阪和電鉄。
阪和電鉄の写真は数多く残っていますが、その中でも有名なのが、以下の写真でしょう。

阪和電鉄の大阪側ターミナル駅、阪和天王寺駅です。以下、「天王寺駅」と表記するときはこの阪和天王寺駅を指すこととします。
非常に情報量の多い写真ですが、中でも目につくのが…

入口に掲げられたナチスの旗、ハーケンクロイツ。
日本の旗と対になってナチスドイツの旗が立っているということは、
「日独防共協定」1936(昭和11)年
「日独伊三国同盟」1940(昭和15)年
のどちらかが締結された時期だと推定できます。画像を改めて解析すると「みかん狩り」「松茸狩」という看板もあるので、秋なのは確定。
が、早秋と晩秋の違いはあれど、どちらの締結も「秋」…
さてどっちだろうかと迷っていたところ、もう一つの選択肢があらわれました。
それが「ヒトラーユーゲント」。
調べてみると、昭和13年(1938)10月に大阪を訪問しています。
季節広告も秋で一致しており、おそらくその時の写真ではないかと。
ヒトラーユーゲントと大阪

ヒトラーユーゲントとはドイツの国民社会主義ドイツ労働者党、俗に「ナチス」と言います、傘下の青少年団体のことで、ナチスが政権を握った後は男子全員が参加を義務づけられていました。

そんな彼らは1938年(昭和13)8月16日、日独親善の一環として横浜から入国しました。
来日した青少年たちは選りすぐったエリートの卵たち、凜とした姿に日本民衆は魅了され、全国各地で歓迎ムード。
彼らは全国を回り、11月12日に神戸から出国するまでの約3ヶ月間の間、日本を満喫することとなりました。
その帰国前、10月~11月には関西中を回っていた形跡があります。
11月には現在の柏原市にあたる堅下村を訪問した記録があると、柏原市のHPに記載されています。
しかし、当時の柏原市は山と畑しかなかったはずだけど、準国賓待遇だったヒトラーユーゲントが一体何をしに行ったのだろうか。

また、10月20日には堺への訪問も行い、仁徳天皇陵などを訪問したと堺市の記録にあります。
天王寺駅のハーケンクロイツの写真は、だいたい10月くらいということはわかっているので、大阪をはじめ関西も歓迎ムードだったことは容易に想像がつきます。
関西一円を回る際、阪和電鉄を利用していても何らおかしくはない。彼らが和歌山を訪問したという記録は、私が調べた限りないのですが、もし訪問していたら阪和電鉄を利用していた可能性は非常に高い。
また、同時期の官鉄天王寺駅や当時は大鉄という別会社だった近鉄南大阪線阿部野橋駅にも、同じハーケンクロイツの旗がはためいていたのは、想像に難くありません。
たかが一枚の、さりげない写真のさりげない旗一つから、ここまで深掘りができるのが歴史の醍醐味ですね。

阪和電鉄の記事は他にもこんなものもあるから見てや!
コメント
堅下訪問ですが、場所的にワイン醸造所見学なのかも。
堅下は戦前からブドウ栽培やワイン醸造で有名で、
日本有数のブドウやワインの生産地でした。
そして当地には1914年創業のカタシモワイナリーがあります。
11月と言ったらワイン醸造が一段落した時季。
フランスと並んでヨーロッパ屈指のワイン大国であるドイツの人が、
訪問するに相応しいと思います。
と思ったら元記事に「大県地区(現・柏原市大県)のブドウ園を見学」とありますね。