丸亀のもう一つの遊郭−西平山新堀遊郭
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丸亀のもう一つの遊郭の名前は「西平山新堀遊郭」。俗に「新堀遊郭」と呼ばれていました。
位置は上の地図のとおり、福島遊郭とはそれほど離れていない位置にありました。
丸亀という、お世辞にも大都市とは言えない地方都市になぜ2つも遊郭があったのか。
それには、丸亀の町の地理的・政治的個性を話さないといけません。
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丸亀には、明治初期の萩の乱から日露戦争、上海事変などを転戦した陸軍の聯隊(第12聯隊)が配置されていました。
「軍隊あるところに遊郭あり」
というのが私の持論ですが、丸亀も軍隊ありきの遊郭だったのでしょう。
もう一つは、港町としての性格。軍隊と同じように、海の男も土の匂いと女のぬくもりが恋しくなるもの、その需要もあったのでしょう。
あと、金比羅宮への参詣者の和船の寄港地としての性格もあり、自然と人が集まる場所でもありました。
新堀遊郭は、
貸座敷十八軒、娼妓は七十六人居る。
『全国遊廓案内』より
と、事実上一本道の福島遊郭に比べて少々規模が小さくなっています。
嗚呼、『春駒』
ここ西平山新堀遊郭には、福島のカフェー建築に勝るとも劣らない、いや、インパクトはそれ以上の建物がありました。
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その建物は、玄関に書かれたその屋号から、「春駒」と呼ばれていました。
木造3階建てだけでも異様と言えば異様ですが(現在は建築基準法で禁止)、注目すべきは1階部分。
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丸みをふんだんに使った正面玄関と、その周囲のタイルを使ったケバい色使い。
まるで赤線カフェー建築のお手本のようです。
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しかも、正面に二つも玄関が。
これは入口と出口を別にして客が鉢合わせないようにした工夫の一つで、赤線建築あるあるの仕掛けでもあります。
そんな「春駒」、残念ながら、非常に残念な悲報ですが、すでに現存しません。
春駒さんの解体現場。長い間お疲れさまでした😢#丸亀 #香川 #遊廓 pic.twitter.com/NKBTbJ226h
— 同行二人 (@DoCo_Go) September 29, 2018
日付は2018年9月下旬、私の訪問(2017年10月)の一年後。正直、ギリギリでした。現物を拝めただけセーフといったところか。
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『春駒』は残念ながら現存はしませんが、福島遊郭のカフェー建築は現存しますし、
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ダウトの建物もあるにはあるので(現存してるかどうかは定かではないですが…)、一度足を向けてみて遊里の背景放射に五感を開放してみてはいかがでしょうか。
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