なんばパークスの歴史|難波御蔵・専売局工場・大阪球場と続いた土地の記憶

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戦後昭和ー大阪球場と南海ホークス

昭和25年(1950)、専売局跡地に南海ホークスの本拠地である大阪球場などが作られます。
「ホークス」と言えば今年の日本シリーズでも日本一になった「ソフトバンクホークス」がその代名詞になっています。

が、その前の前は「南海ホークス」という南海電鉄が所有していた球団でした。

南海ホークスと大阪球場

昭和50年の航空写真より。専売局跡がほぼ大阪球場になっていたことが目視で確認できます。昭和50年と言えば、先日亡くなった野村克也さんがホークスの選手兼監督だった時期です。

1989年 Wikipediaより

難波駅の横にプロ野球の球場があった…私はリアルタイムで知っています。知ってるどころかここで行われたオールスターも見に行きました。5歳か6歳の頃だったので球場がすごく大きく感じたのですが、実際はそうでもなかったそうです。

そして長~~い低迷期を経て人気も凋落した末にダイエーに身売りされ、福岡へ本拠地を移したのが1988年。それからもう30年以上経つので、平成生まれは「南海ホークス」をリアルタイムで知らないという計算になります。

もっとも、大阪球場自体は1998年まで住宅展示場などの多目的施設として残っていたので、

なんか難波駅横に球場らしいのがあったような…?

とおぼろげな記憶を持っている20代もいるはず。

ここに大阪球場があった!という跡が、なんばパークスに残されています。

床にホームベース型のプレートが埋め込まれているところ、ここにかつて球場のホームベースがありました。

ここにかつて球場があり、鶴岡、野村、杉浦、広瀬、そして門田など数々の名選手、名監督がここから生まれた事実は、このプレートが物語っています。

また、パークス内にはホークス記念館もあります。

その跡地に作られたのがなんばパークス。そして現在に至っています。

まとめ

なんばパークスがあった場所は、時代ごとにその姿を大きく変えてきました。
江戸時代の米蔵、近代は専売局の工場、戦後は球場として人々の記憶に残してきました。

そして現在は、新しい難波のハブとなる大型商業施設として多くの人々を惹きつけています。

なんばパークスは、平成に生まれた施設でありながらも、その足下には江戸時代からの歴史が蓄積しているのです。

その歴史背景を知ると、なんばパークスの見方がまた変わるのではないでしょうか。

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明治36年(1903)に現在の新世界で開かれた第5回内国勧業博覧会の開催中に、交通の便をはかるために関西鉄道(現JR関西本線)と南海鉄道が臨時の駅を作っていました。

  1. 明治31年説もあり。 ↩︎
  2. 焼夷弾が何発か入ってきたが、従業員の消火隊が必死で消火しボヤ程度で済んだそう。 ↩︎

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