スポンサーリンク
歴史探偵千夜一夜

阪和線津久野駅前の団地「津久野住宅」

日本住宅公団(以下、公団)によって開発された、阪和線津久野駅界隈。昭和35年(1960)に建設された向ヶ丘第一団地のお膝元として歩んできましたが、それはすでにありません。サンヴァリエ津久野という洒落た名前のURマンションになっています。昔の...
戦争遺構をゆく

【大阪の戦争遺構】三光神社ー一本足の鳥居

三光神社に残る戦争の傷跡大阪環状線の玉造駅から西へ徒歩5分にある真田山に、三光神社があります。見た目に反してかなり古い神社で、神職は世襲制で現在は86代目だそうな。ここが全国区で有名になったのは、大河ドラマの真田丸から。神社がある真田山には...
遊郭・赤線跡をゆく

敦賀遊郭(福井県敦賀市)|遊郭・赤線跡をゆく|

敦賀の色街の歴史は古く、『太平記』の延元元年(1336)に、敦賀に遊女がいたことが記述されています1。近世になり、江戸幕府がオギャーと産声をあげたばかりの慶長10年(1605)に上川嶋寺町の遊女たちが三ツ屋町・六軒町に遷されたことが、当時の...
歴史探偵千夜一夜

東京から敦賀を走ったボートトレインー欧亜連絡国際列車

2025年3月、敦賀港駅が140年の歴史に幕を下ろしました。鉄道駅としては、2019年に一足早く廃駅となったのですが、その後もJR貨物のコンテナ集積場「つるが港新営業所」として営業を継続していました。が、それも今年3月で業務終了となったわけ...
戦争遺構をゆく

【神戸の戦争遺構】神戸郵船ビルに残る機銃掃射の弾痕

神戸郵船ビルは、大正7年(1918)に日本郵船神戸支社として建てられた、今年で築101年の重厚な建物です。1994年に大改築された際に耐震補強も施されたのですが、完成した途端に阪神・淡路大震災。もしこれがなければ、前述の海岸ビル同様全壊して...
遊郭・赤線跡をゆく

信太山新開地(大阪府和泉市)|遊郭・赤線跡をゆく|

「信太山」と聞いて読者の皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。自衛隊に風俗街。おそらくこの二つだろうと思います。自衛隊はおおっぴらに書くことができても、風俗街はなかなか公には語られません。しかし、「現役」にもちゃんと歴史がある。歴史がある以上...
遊郭・赤線跡をゆく

長浜南片町遊郭(滋賀県長浜市)|遊郭・赤線跡をゆく|

長浜は、言わずと知れた羽柴(豊臣)秀吉が初めて城主となり開発した町です。そんな長浜が今、あることで盛り上がっています。それはノーベル賞。2025年ノーベル医学・生理学賞受賞者の坂口志文氏はここ長浜生まれ。学校も地元の小中高を出て京大へ進んだ...
歴史探偵千夜一夜

朝鮮を走った暁の超特急「あかつき」

朝鮮を走った高速特急列車 「あかつき」「特急 あかつき」こう書くと、かつて関西〜九州(長崎・佐世保)間を結んだ寝台特急ブルートレインを想起する人が多いと思います。これも一度乗りたかったし、乗る機会もあったのだけど、乗れないままなくなってしま...
遊郭・赤線跡をゆく

阿部定がいた「大正楼」は本当に大正楼なのか? 京口新地の謎

兵庫県丹波篠山市にあった遊郭、通称「京口新地」にあった「大正楼」…とされる元妓楼。かの阿部定も娼妓として働いていたことで、一躍有名になりました。2025年10月撮影残念ながら崩壊の危険があると2019年に解体され、数年間の更地を経て現在はア...
遊郭・赤線跡をゆく

阿部定も働いていた遊郭 京口新地(兵庫県丹波篠山市)|遊郭・赤線跡をゆく|

篠山の遊郭の歴史関西の、どちらかというと内陸の奥地に属する今の丹波篠山市は、武家屋敷が現在でも残る観光の町。今は歓楽街とは無縁のせいか、遊廊とか赤線ってイメージが全く思い浮かばないですが、その昔、確かに遊郭は存在していました。今回は、そんな...
遊郭・赤線跡をゆく

旧洞泉寺遊郭川本楼(町家物語館) 第八章ーハートマーク(猪目)

奈良県大和郡山市にあった洞泉寺遊郭。またの名を「又春廓」その中に残るのが「旧川本楼」。大和郡山市が税金で買い取り残した遊郭の元妓楼で、現在は「町家物語館」として無料公開されています。ここの基本的な説明は、下記のアコーディオンの中に書かれてい...
遊郭・赤線跡をゆく

函館の「準遊郭」② 堀川新地|遊郭・赤線跡をゆく|

函館市立図書館デジタルアーカイブより北の国の港町、函館にはかつて、大森遊郭という、東京以北では最大規模の遊里が存在していました。最盛期の大正時代には娼妓700人近くを抱える、全国でも有数の色街として不夜城として栄えていました。が、そんな大森...
タイトルとURLをコピーしました