
奈良県大和郡山市にあった遊郭の一つ、洞泉寺遊郭。
立地上の都合かこぢんまりとしながらも安定した数字を残していた色街でしたが、昭和33年(1958)の売春防止法完全施行により、江戸時代からの遊里の歴史に幕を閉じました。
遊里の歴史を閉じてから数十年、現在の姿はどうなっているのでしょうか。
本記事では、現在の洞泉寺遊郭の姿を、2010年から何度も通った豊富な写真と共に解説していきます。
👉 洞泉寺遊郭全体の歴史を知りたい方はこちら
洞泉寺遊郭の場所・位置は?
洞泉寺遊郭があった洞泉寺町は、以下の場所にあります。
近鉄郡山駅とJR大和路線郡山駅のちょうど中間あたりにあり、どちらから降りても徒歩12〜3分ほどの距離感です。
現在の洞泉寺遊郭跡はどうなっているのか?
筆者が初めて洞泉寺遊郭を訪問したのは2010年のことでした。
その時に私の前に現れた遊郭跡は、息を呑むような「そのまま」の世界でした。


遊郭の入口に入ると、隣は交通量が多い道路なのに関わらずシ~ンと静かになり、流れてる空気すらも変わることを体感できました。
そして、昔ながらの狭い路地に並ぶ妓楼…まるで遊里が真空パックのまま残ったようなその雰囲気に、少し酔いそうになったものでした。


建物自体の迫力もさることながら、注目すべきはその装飾。この格子を見ただけでも、

これかなり金かけとるな…
と思える格子の細やかさ、上に残っている灯が余計に趣を醸しだしていました。

建物はくたびれながらも妓楼の優雅さを色濃く残し、しばらくは安泰だなと思っていました。
が、建物は想像以上に痛みが激しく、10年後の2020年に「死亡宣告」が訪れてしまいました。

まさか、これを見る時がこんなに早くなってしまうとは。
本記事執筆時(2026年)の洞泉寺遊郭は、以前と打って変わった姿となっていました。

上の写真の妓楼があった場所は更地(駐車場)となり、あの遊郭の真空パックのような建物はきれいさっぱり消え失せました。

2020年以前には、現在は「町家物語館」になっている旧川本楼の隣に、「山中楼」という旧妓楼がありました。
2020年、取り壊し前に内部が数日限定で公開されましたが、筆者も参加して中を見せてもらったことがあります。
有料記事ながら、興味がある方はお読み下さい。


そんな山中楼も、2025年夏時点ではこの通り。更地になり地主だったお寺さんの敷地と化しています。

以上のとおり、残念ながら2020年以降にこれらの建物は老朽化のために取り壊しとなり、「遊郭の抜け殻」のような建物は残っていません。
左側に見える赤と緑の幟は源九郎稲荷神社のもの。道の奥に町名の由来となった洞泉寺がありますが、敷地を共有するかのように鎮座している神社です。
この稲荷神社は「日本三大稲荷」と呼ばれています。非常に小さな神社ですが格式は京都の伏見稲荷と同格。神社マニアがここを訪れ、近辺が遊郭だったことを知るパターンもあるそうです。
上の写真の道筋も、撮影当時は左側が駐車場になっていましたが。昔の航空写真を見ると道の両側に妓楼が建っていました。

筆者は遊郭入口、①の部分から撮影しましたが、写真右側手前の②の建物の向かいにも建物があったことがわかります。
つまり、この遊郭の通りは、両側に妓楼がひしめく桜並木ならぬ「妓楼並木通り」だったのです。
これは航空写真や住宅地図などで確認しないとわからなかったことで、現地調査だけでは気づかない新発見でした。

しかしながら、遊郭入口から稲荷へと続く道の奥には元妓楼がもう2軒残っています。


ここも、格子といい2階部分の丸い明かりといい、当時の雰囲気を色濃く残しております。まるで、夜になったら明かりがついて「営業」しそうなくらいに。
ここは現役の民家として使われており、会社のオフィスになっています。
こちらは取り壊しもなく引き続き残りますが、残っているのは外観だけで内部はすっかりリフォームされているとのことです。
旧川本楼ー洞泉寺遊郭のランドマーク

違う道に入ると、この洞泉寺遊郭はまた違う顔を見せます。
とにかく道が狭い所に木造3階建ての建物、当時は道の両脇にこんな建物があったはずなので、その威圧感たるやすごかったことでしょう。
東京とか大阪とかの都会ならさておき、戦前の地方で3階建てなんて高層ビル同然だったので。
この写真の奥に見える木造3階建ての建物は…

今のiPhoneの超広角をもってしても収まりきれない横幅。これはとんだ大妓楼。
ここは遊郭時代、「川本楼」という屋号で営業していた元妓楼。赤線時も同じ屋号で営業していました。
赤線廃止後は下宿として営業していたのですが、それも廃業し主を失ったあとは取り壊しを待つだけの建物を、文化的価値ありと市が買い取りました。
3億か4億円をかけて10年間の改修期間と不定期公開を経て、平成30年(2018)から「町家物語館」として一般公開されました。
前述した「山中楼」がまだ建っていた頃、この町家物語館の3階から面白いものが見えていました。

山中楼の屋根には、「山中」の文字と屋号の「閉じ扇」が屋根に顕示されていたのです。
まとめ
私も数々の遊郭・赤線跡をこの目で見てきましたが、洞泉寺の建物の美は最高クラスでした。
一つだけでも、よくぞここまで残っていてくれたと神に祈りたい気分ですが、それが4つも5つもとなると、日本でもそうそうお目にかかれるものではなかったです。

そんな数えるほどのものしかない妓楼が、間もなくその生涯を閉じようとしています。それは時代の流れ、致し方ない。私の意見はこうですが、だからこそせめて写真に残しておくべきであると。
私は2008年から何度か足を運んで写真に収め、こうして記録をブログに残しました。これで洞泉寺遊郭の「遺影」は、私がブログを消さない限り残ることでしょう。
洞泉寺遊郭の歴史の詳細記事
この遊里についての詳細は、以下のブログでわかりやすく解説しています。
歴史に興味がある方は、こちらもどうぞ。
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