建部大社と幻の千円札

滋賀県の建部大社歴史エッセイ

近江国建部大社

以前住んでいた滋賀県某所の近くに、建部大社という神社がありました。「ありました」といっても現存しており私の方が既にいないのですが、この神社、境内がかなり広く、神社素人の私でもこれはタダの神社ではないなと思わせるような、不思議な威厳を発していました。

この神社は、近江国の一之宮としての由緒がある古い神社で、日本武尊をご祭神としています。天武天皇の御世である白鳳4年(675)、近江国府があった勢多の地に御霊を移し、この地に神社が建てられたとされています。
また、平治の乱で源頼朝が京から伊豆へ流された際の途中でこの神社に立ち寄り、源氏再興を誓ったことが『平治物語』に記されています。

こんな由緒正しき神社と昭和史、そんなの何の関係もなさそうなミスマッチっぷりです。が、実は終戦後の混乱に絡んだある関わりがあったのです。

 

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幻の千円札

「戦前」とはいつまでなのか?はけっこう議論があるのですが、私なりの定義は昭和20年8月15日までを戦前としています。それ以降、それが8月16日でも個人的には「戦後」としています。

その定義での戦前の貨幣の最高額は百円札でした。が、終戦直後の8月17日、何を血迷ったのか日本政府は千円札の流通を開始します。
何故「血迷ったか」というと。昭和初期の東大卒の官僚の初任給が100円の頃。現在の貨幣価値なら感覚的な20万円前後です。そんな中、1000円札が登場。1000円とくれば月給10ヶ月分。そんな高い紙幣発行してどうするの?と首をかしげてしまいます。

建部神社と千円札

100円札終戦直後

千円札の表面右側には日本武尊が描かれ、その左に建部神社が描かれています。裏面は…とくに記述することはありません。

給料100円で「高給取り」と呼ばれた時代に、なぜこんな高額紙幣が必要になったのか。
話は、対米戦争直前にまでさかのぼります。
昭和16年(1942)は、対米英戦争の前に中国大陸での戦争が長期化し、戦費が国民生活を圧迫しました。戦費が欲しい国ですが、それなら紙幣を刷れば良い…そうなるとインフレは避けられません。また、モノの供給も少なくなってもインフレは発生します。
この1000円札は、そのインフレを見越した紙幣でした。昭和16年と言えば、見た目でも明らかに物資が少なくなり生活に支障が出始めた時期でもあります。そのモノ不足によるインフレを見越して、大蔵省は事前にこの高額紙幣を準備したという背景です。

翌年の昭和17年(1942)、千円札のデザインと発行日が大蔵省より発表になったのですが、結局なんだかんだで戦争中にそれが流通されることはありませんでした。

そして終戦の数日後、何を考えたか流通開始となったのですが、その理由はわかりません。

しかし、新円への切り替えに伴い翌昭和21年3月、千円札は流通停止。わずか7か月の命でした。新円切り替え前の最高額紙幣であると同時に、日本貨幣史上もっとも短命のお金ではなかったでしょうか。
たった7ヶ月の命だった超短命紙幣、しかし実際に流通したものとしては、新円に切り替わる前の最高額紙幣として、日本貨幣史の歴史の1ページにひっそりと刻まれています。

 

 

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