クイズ番組全盛期時代
私のような40代が思い浮かべるクイズ番組と言えば、
・クイズダービー
・連想ゲーム
・クイズ百人に聞きました
などなど、挙げていけばキリがありません。うんうんと頷いている人も多いのではないでしょうか。あ、伝説のアメリカ横断ウルトラクイズも忘れちゃダメですね。
『なるほど・ザ・ワールド』『世界まるごとHowマッチ』と『世界一周双六ゲーム』で、海の向こうに「海外」という未知の世界があることを覚え、『ウルトラクイズ』で絶対海外に行ってやる!と決意し、参加資格年齢に達した途端に番組が終わってしまった悲しい思い出。しかし、それらを見ることがなければ、おそらく私は大阪の井の中の蛙で終わっていたことでしょう。
1980~90年台は個性的なクイズ番組花盛り。チャンネル変えてもクイズばかり。でもテレビが楽しかったあの時。日本史におけるクイズ番組全盛期ではなかったのではないかと。
そんなクイズ番組の百家争鳴時代の、知る人ぞ知る番組があります。
クイズヒントでピント
それが、クイズヒントでピントでした。1979年~1994年の間、テレビ朝日1で放送されていたクイズ番組でした。
日曜の午後7時半から8時までの30分間の番組(関西の場合)で、家族と毎週欠かさず見ていたのが昨日のことのように思い出されます。
これが終わるとNHKにチャンネルを合わせ大河ドラマ…というパターンの家庭も多かったのではないでしょうか。
「直感と連想能力に挑戦する、象印クイズヒントでぇ~ピント!」
という司会の土居まさるさんの舌なめらかな挨拶と共に、番組がスタートします。
土居まさるはフリーアナウンサーの草分け的存在で、軽快な話術で人気の司会者でした。ただの口の上手いおっさんだと思っていました(笑
番組内でも雑談ギリギリのようなトークを展開しており、この番組ってこんなに司会がベラベラしゃべっていたんだと、数十年ぶりに見て気づきました。
我々視聴者側は「ヒントでピント」と呼んでいましたが、番組の正式名称は「象印クイズ ヒントでピント」。司会者のテーブルの下にも「ZOJIRUSHI」と書かれているように、魔法瓶でお馴染みの象印が独占スポンサーの番組でした。
番組の内容
番組は、男性チームと女性チームに分かれ、レギュラーが4人、ゲストが1人という構成でした。男女チームにはそれぞれキャプテンがおり、歴代のキャプテンは博学博識のアナログWikipedia的文化人の指定席でした。
司会の、
「まずは頭の準備体操~!」
という掛け声から始まるのは、モザイクがかかった画面の人物を当てるというもの。
こんな風にモザイクがかかっていますが、私が見た動画では、
かの舛添要一氏でした。
動画は1989年、つまりバブル絶頂期の頃のものですが、舛添さんはこの年に文化人タレントとして大ブレイクしました(当時41歳)。東京都知事で自爆し空中分解した感がありますが、当時は大人気者だったのです。海外志向だったこともあって、舛添さんの「数カ国語ペラペラ」「国際政治学者」という肩書に憧れたことがありました。今でも国際情勢に興味があるのは、間接的には桝添氏の影響もあったかもしれません。
しかし舛添さん、敢えて比較画像を出しませんが、当時はまだ頭の上が熱帯雨林だったのですな。砂漠化が少々進んではいるようですが、まだまだ余裕だった頃でもあります。そして、昔の方が人相がすこぶるよろしい。
ところで、司会の土居さんは番組内で、
「今年(1989年)7月東大助教授からデューダしました」
と言っています。
「デューダする」とはすなわち「転職する」ということ。
「デューダする」は当時の流行語で、「女性が」転職することを「とらばーゆする」とも言っていました。どちらも転職雑誌が語源で「DODA」は男性用、「とらばーゆ」は主に女性用でした。1985年の『現代用語の基礎知識』に出てくる言葉なので、その頃の流行語でしょう。
「デューダする」はすぐに廃れたと思いますが、「とらばーゆする」は私の20代後半、1990年代末あたりまで使われていました。
これ以降は、ヒントと共に画面に表示される「2分割」「4分割」「16分割」などに分かれているのですが、珍問・奇問も多く、知識もさることながら発想の柔軟さも求められる難易度高めの番組です。
リアルタイムで見ていたときの私は、ほとんど答えられず。そして約30年後にようつべで改めて見たものの、今見ても全然わかりませんでした(笑
分割の画面などを大人の眼で見てみると、あることに気づきました。
画面下の得点のフォントというのか、それがカセットビジョンにそっくりじゃないかと。
カセットビジョンの名ゲーム「与作」の画面ですが、これと『ヒントでピント』の数字のフォント、そっくりではないですか。
心底どうでもいいことにいまさら気づく私も私ですが、ヒントでピントは当時の最新のコンピュータを使って処理しており、制作ソフトかなにかがカセットビジョンと同じだったのではなかろうか。確認する術はないのであくまで私の仮説ですが、こんなメシの種にもならないことに想像を巡らせるのも、また平和なひとときなり。
『ヒントでピント』には、こんな問題も出てきます。
画面が文字化けしているのではありません。画面にモザイクがかかっており、そのモザイクがすべて消える間に「ものや動作」を当てる問題なのです。
この問題を、番組内では「テクニカル」と言っていました。この問題になったら目を細めて画面を凝視していた人、読者の中にも絶対にいたでしょ(笑
現在は、画面にモザイクがかかるのは当たり前ですが、それをテレビ界で初めて試みたのが、この『ヒントでピント』の「テクニカル」クイズでした。画面モザイク、1980年当時はチョー最先端の映像技術だったのです。
日曜のはらたいら
ヒントでピントの男女チームには、それぞれキャプテンがいるということは前述しましたが、その中でも印象に残ってるのが、男性陣キャプテンのこの人。
写真家の浅井慎平さんです。
私は前のキャプテンである小林亜星さんの頃から見ていました。小林さんもさすが作詞・作曲家という博識ぶりでしたが、私の記憶が正しければ、ホームランか三振かで不正解回答も多かった気が。その点、浅井さんの安定感は抜群でした。
この時代のクイズ番組で、その人間離れした博識ぶりと正解率で今でも伝説となっている人がいます。
『クイズダービー』で無敵っぷりを発揮した、故はらたいらさんです。
が、はら氏とガチでやりあえそうなほど、クイズ無双っぷりを発揮していた人がいました。それが安定のアサーイ。彼は番組内の最高難易度、「16分割」での正解率の高さから、「16分割の鬼」とも呼ばれていました。今なら「鬼畜眼鏡」と呼ばれていたかもしれません…ってそれ将棋の羽生さんのあだ名や。
3~4問目くらいで当てると、女性陣二枠の「おっかさん」こと小林千登勢さん(故人)がよく、
「なんでそんなのわかるのよ~!」
「もう(浅井さん)やだ~!」
と、悲鳴に似た野次を飛ばしていたのを覚えています。
三つ子の魂百までかクイズ番組は好きなので、テレビをすっかり見なくなった後もネットでよく見ています。が、一視聴者として、浅井さんほど頼りがいがあり安心して見ていられる回答者は、(はらたいらを除いて)他に見当たりません。また、ポーカーフェイスで幼心にちょっと怖さを感じたはらさんに対し、浅井さんはダンディーで感情豊か。そちらに親近感が持てたのもあります。
ただ、浅井さんの不幸(?)は、両者の番組の知名度がダントツに違ったということ。『ヒントでピント』には、NHKに『クイズおもしろゼミナール』という強力裏番組があり、そちらに視聴者を食われていた感があります。対して『クイズダービー』は裏番組など意に介さない伝説のお化け番組。今の40歳以上で、『クイズダービー』とはらたいらを知らぬ者は日本人にあらずというくらい、みんな見ていましたからね。
また、『ヒントでピント』自体の最盛期が1985年前後と言われており、浅井氏がキャプテンの席に座って無双を誇っていた頃は番組として下降線だったことも、はらたいらの後塵を拝している理由でもあります。本人にとっては、こんなことどうでもいいでしょうけどね。
私は子供心にそんな浅井さんを、
「日曜7時半のはらたいら」2。
と呼んでいました。
はら、浅井、そして『世界ふしぎ発見!』の黒柳徹子さんの3人で「昭和の三大クイズ宇宙人」。平成に入ってからの『マジカル頭脳パワー』の所ジョージさんを足して、「クイズ四天王」なんて呼んでいた人もいました。
黒柳さんはその昔、『世界ふしぎ発見!』の収録2日前は『徹子の部屋』以外の仕事を入れず、その2日間で図書館でテーマに沿った書籍を数十冊読破。それを見た某人が、こんな人には敵わんと番組レギュラー依頼を下りたというエピソードがありますが、それでも脳にWikipediaアプリでも入っているかのような、はら・浅井の安定感は一歩抜きん出ていた気がします。
安定っぷりがヤバいと個人的に興味を持ち、小学校6年生の夏休みの自由研究はなんと浅井慎平研究。「浅井慎平はなんであんなに賢いのか。どうしたら浅井慎平になれるのか」、まあそんなタイトルでした。もしも今の私が少なからず博識なら、研究のさなかに浅井さんの垢を呑んだのでしょう。
今求められるクイズとは
『ヒントでピント』が終わってから24年後の今年、ようつべにアップされていた番組を何度も再生し見てみました。
アップされているものはバブル経済華やかな1980年台後半のものが多いですが、なんでやろと考えてみると、高嶺の花だった録画機能付きビデオデッキが、この頃から誰でも買える値段になり大衆化したはず。そんな時期に録画した番組がビデオテープに残っていたのをデジタル保存、ようつべにアップしたのでしょう。
心だけ少年のままのおっさんが、
「懐かしいなー」
という気持ちをひとまず横に置き、客観的かつ冷静に見てみると、セットがシンプルだなということに気づきました。一部に当時最新のコンピュータを使っているとはいえ、良くも悪くも金をかけていない。
また、番組の最後にはゲスト回答者にプレゼントが贈呈されるのですが、スポンサーが象印なだけにすべて象印の製品。それも電気炊飯器やポットばかり。負けた方は水筒ですよ、あーた。
スポンサーなんやから当たり前やんかという意見もありますが、ゲストは有名な芸能人ばかり。
そんなもん、芸能人やったらお金出したら電気屋で買えるやん!一般家庭でも買えるわ!
世間を何も知らない田舎のガキンチョは、こんなことを思いながら、
象印って会社はめちゃケチやなww
と極大マイナスイメージを持ち、本社が大阪ときいてさもありなんと固い確信を持つ始末。象印さんごめんなさい。お詫びに今、御社の炊飯器使ってます。
でも…リアルタイムで見ていた方、同じこと思いませんでした?(笑
しかし、セットは派手になり、CGを駆使して表だけの豪華さを繕っても、今のクイズ番組は芸能人がテレビの向こう側でワイワイ騒いでいるだけで、面白くも何ともない。
昔のクイズ番組は、最後まで見てくれた視聴者へのプレゼントなども豊富で、『ヒントでピント』もゲストがもらった電化製品プレゼントでした。別にプレゼントが欲しいとは言わないけれど、見てくれている人への敬意、感謝が今の番組にはない。
その上番組としての質も落ちており、内輪だけで騒いでいるクイズを見ては、君たち何が楽しいの?と超絶冷めた眼で見、すぐにリモコンに手を伸ばしてしまいます。『ネプリーグ』だけは、何故かおもしろいなーとは思うけれどね。
クイズ番組は、お金をかければ良いものが出来るというものではありません。
昔のクイズ番組は、お金をかけなくても視聴者が、家族が一つのテレビでワイワイやれる楽しさがあった。『ウルトラクイズ』のように夢もあった。今のクイズ番組には夢がない、知的好奇心をくすぐらない。
なんというか、お金だけかかって内容が制作側の自己満足に終わっていないでしょうか。そこに制作側の、視聴者側に立っていない傲慢さが見え隠れしている気がします。
『ヒントでピント』は、改めて見ると30年経っても難易度が色あせていません。良い意味で斜め上の珍・難問題が出てくる質の高さがそれを物語っています。
テレビ離れと言われて久しいですが、クイズはそろそろ原点、つまり
「装飾に金をかけず、中身に金をかける番組」
に戻る時期かもしれません。
思い出・懐かしい補正はついているとは言え、ようつべで見る30年前のクイズの方が楽しめる現実。これは気のせいではないと思いますけどね。
コメント
楽しく拝見しています。
僕もBEのぶさんと同世代。年は多分2つ上です。
この記事、思いっきり笑いました。
僕もヒントでピント見ていました。家族団らん、非常に懐かしく、亡くなった父も含めてみんなで見ていました。
親が何でこんなんわかるん?と思うような奇問の正解を言い当てて驚いたり、僕が小学生ながらにたまに親を差し置いて正解することがあり、それが快感でもありました。今から思えば貴重な時間でした。
ただ、象印賞がしょぼくてがっくり、俺は湯沸かしポットとか、ホットプレートなんかいらんわ!もっといい商品を出せばいいのにと常々思っていました。ゲストが湯沸かしポットをもらって顔の横に掲げてニッコリ、なんでこの人は湯沸かしポットなんかで喜んでしかも顔の横に掲げるのだろう、といつも不思議で大きな違和感がありました。
大人になった今、ああ、そう言うことかとよくわかりました。
今日、家に帰ったらさっそくユーチューブで見てみたいと思います。
>大阪球場さん
はじめまして、拙ブログをご覧いただきありがとうございます。
昔は家族で楽しめるクイズ番組がてんこ盛りでしたね。クイズダービーやアップダウンクイズ…国盗りゲームなんてのもありましたね。私が海外に出て今があるのも、「なるほど・ザ・ワールド」と「世界まるごとHowマッチ」「世界一周すごろくゲーム」の影響と言ってもいいくらいです。
今は…クイズ番組どころかテレビすら見なくなりましたね。
>象印賞がしょぼくてがっくり、俺は湯沸かしポットとか、ホットプレートなんかいらんわ!もっといい商品を出せばいいのにと常々思っていました。
みんなそう思ってたようですね、ある意味安心しました(笑