1990年代の上海に数年だけ存在した!!幻のモスバーガー

上海中国モスバーガーブログエッセイ

私の大好きなファーストフードの一つに、モスバーガーがあります。ファーストフードにしては、ちょっとお高くつくものの、多い時は週2回以上通うほどお馴染みでした。

ある日、何気にモスバーガーの公式HPの海外店舗を見ていました。モスバーガーはアジアを中心に海外でも店舗を展開しており、中国・台湾・韓国・シンガポールなどに支店があります。
特に中華圏の店舗を見ていたのですが、特に台湾への進出はかなり早く、私が台湾に住んでいた20年前(1997年)には既に国中に定着し、地元JKのたまり場になっていました。台湾であることを感じさせない、メニューも味もサービスも、そして店の雰囲気も日本クオリティそのままでした。

香港は、私が広東省にいた頃は存在しなかったのですが、10年前の2006年に第一号店がオープン。今は各地に19店舗あるそうです。作るんやったら俺が滞在してた時に作ってくれよ~。

モスバーガーは中国にもあります。

モスの公式ページによると、4つの省(上海は政府直轄市で省扱い)に進出し、南方を中心に14店舗を展開しているそうです。上海や広東省、福建省が中心で、北京などの北方にはまだ進出していない模様。

かつて住んでいた広東省広州にも数店舗あり、住所を見るとあんなところに出来ているのか~と、留学時代の記憶がほのかに頭をよぎります。

で、公式HPの沿革を見てみると、

2010年2月に中国の福建省厦門市に1号店「思明南路店」をオープンしました。
厦門においても、アジア各国で人気の高いライスバーガーの商品構成を充実させ、日本の定番メニューを中心にご提供しています。

ん???

2010年に初進出やと?

いやいやいやちょっと待て!!

 頭に血がのぼってしまいましたが、冷静になったところでWikipedia先生もチェック。

日本語版
2010年
2月 – 中国本土1号店「思明南路店」オープン。

Wikipedia先生も、公式HPに前にならえしています。

私は全く納得しません。
なぜならば、20年以上前に中国でモスバーガーを見たから。

見ただけではありません。そこで食べていたから。

公式記録からも抹殺された(!?)上海のモスバーガーとは!?

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私は上海で見た!食べた!25年前のモスバーガー

 

中国の上海

23年前の1994年、私は上海に留学をしておりました。
今でこそココイチあり、ミスドあり、吉野家あり、果てはサイゼリヤまでありと、日本のファーストフードなんでもありの上海ですが、1994年には何もなし。JALの機内で久しぶりの「日本食」を食べ、旨さに涙した時が懐かしい。機内食で涙するほどだから、当時の上海の日本食のレベルは推して知るべし。

当時のファーストフード店と言えば、マクドにケンタッキーが関の山…いや、マクドナルドすらありませんでした。

私の上海上陸が1994年4月、上海のマクド1号店が淮海中路という繁華街にオープンしたのが1994年7月。偶然とは言え、めちゃ貴重な時期に上海にいたなと。

そんな外資系ファーストフード不毛地帯の上海に、あのモスバーガーが殴り込んできました!

 

上海のモスバーガー

 

場所はここあたり。オープンした時は毎日のように通っていたので、四半世紀の月日が経ってもはっきり覚えています。ファーストフードなんてロクにない時期の黒船襲来。当時の上海在住邦人の衝撃たるやすさまじいものでした。

もちろん、両手を上げていらっしゃ~~い。

 

店は、陝西南路という上海市街の真ん中あたりに位置していました。
横には三越百貨店が入ったホテルオークラ「花園飯店」があり、1日遅れで届く日本の新聞を、ロビーでタダ読みさせてもらっていた憩いの場でした。
歩ける距離には伊勢丹もあれば、知る人ぞ知るニセモノ製品市場やヤミ両替所もある。マスコミがここが中国ですと太鼓を鳴らして宣伝する「表中国」と、絶対に報道しない恥部である「裏中国」が、隣どうし仲良く同居していた地域でした。

店長もれっきとした日本人でした。年齢は40歳過ぎだったと記憶しています。
「俺、日本人だけど店長おる?」
と店員に言えば、店長がいらっしゃいませと笑顔で応対してくれていました。当時は上海といえども日本人が珍しかった時代、同胞の活躍に我々邦人は拍手喝采で活躍を見つめていました。

 

味は日本の店舗と全く同じ、日本のクオリティをそのまま保っていました。メニューもほとんど変わらず、ライスバーガーがなかったくらい…って当時は日本にすらなかったような気が。

私のモスの定番は「照り焼きチキンバーガー」で、必ず頼む一品です。今でも調子に乗ったら3つ食うほど好きなのですが、上海在住時も同じものを頼んでいました。

食材、特に野菜は日本から空輸していたと記憶していますが、輸送費はその分値段にかかっていました。値段の記憶は残念ながら覚えていませんが、当時の上海の物価からするとかなり高かったはず。今でさえ日本よりほんのちょっぴり安い程度だから。

店長いわくオープン前に研修をみっちり仕込んだらしく、サービスも日本とほとんど変わらず。
あの愛想激悪の中国人店員が、満面の笑みで

歓迎光臨!!(いらっしゃいませ)

非中国的な、あまりに非中国的なサービスに、身体がのけぞるような恐怖さえ感じました。こいつら、隠れてハンバーガーにアヘンでも混入させてへんやろな、スマイル一つ15元いただきますとか言うてこえへんやろなと。
(※料理にアヘンを混ぜて中毒にさせ、何度も来店させる手段が一部地方で流行ったことが、1996年くらいに本当にありました。去年もTwitterで話題になってましたね)

まだまだ「売ってやる」精神が頭から抜けないサービス精神ゼロの中国人を、どうやってあんなに豹変させたのですかと店長に聞いたところ、彼は親指と人差指の先を合わせて丸をつくり、
「これですよ」
ニヤリと笑いました。
要は給料をマクドの店員の3倍くらいにし、金でモチベーションアップさせたということ。その代わり鬼の研修でやる気のない候補者を脱落させ、晴れて店員として採用されても、日本レベルのサービスを維持できない店員は問答無用でクビという契約にしたそうです。
さすがはモスバーガー、金が絡めば超サイヤ人ゴッドにでも、ダースベイダーでもなる中国人の性質をよく研究してらっしゃる。モスの血も涙もない性悪説ぶりに、先輩留学生がやるなーという顔をして感心しておりました。

 

「中国じゃ 地獄の沙汰も 金次第
 札束見ては 目も$(ドル)と化し」
詠み人知らず

 

上海のモスバーガーは、実はここだけではありませんでした。

 

上海の豫園

『豫園』(よえん)という上海屈指の観光名所の中に、それはもう一軒ありました。

留学先の大学との地理関係もあって、最初に紹介した陝西南路店ほどは行かなかったものの、この『豫園』にモスバーガーがあったことは確かです。
ネットもなかった時代のこと、さすがに覚えている人は…と思って探していたのですが、陝西南路の方はほぼゼロだったものの、豫園の方は記憶にある人がまばらにいるようです。

 

ネット上ではほとんど情報がない幻のモスバーガーですが、苦労に苦労を重ねて画像を入手。

 

上海のモスバーガー
そうそうそうそう、ここや!!!

20年前の記憶が、間欠泉のように吹き出しました。調べてみると、豫園店の方が上海モスの第一号店だそうです。

 

上の画像を見ていただくと、モスバーガーの中国語表記は「莫師漢堡」
なんだか違和感がある人が、中国語を知っている人を中心にちらほらいると思います。

「モスの中国語って、摩斯漢堡じゃなかったっけ?」

 

実際、台湾のモスや今の中国のモスバーガーは、この表記です。
中国名物、モスバーガーのニセモノか!?
まあまあ落ち着いて、漢字は違えど同じモスバーガーです。それは実際に「両方」を食った私が証明します。

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ついに明かされる驚きの真相とは
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コメント

  1. より:

    私も2001年に上海のモスバーガーでライスバーガーを食べた記憶があるんだが…
    場所の記憶はないですが豫園ではなかった
    まともな味でした。

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