なんばパークス南で謎の遺跡が!その正体を追う

なんば遺跡ニッピ工場大阪史
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「遺跡」は何なのか

さて、本題の「遺跡」の話です。

 

難波近代遺構

遺憾ながら、私は「遺跡」の現場を見ていないのですが、207さんが様々な角度からの写真を撮影してくれているので、位置はだいたい把握しました。

これを、昭和17年の航空写真と照らし合わせてみましょう。

 

なんば近代遺構

だいたい黄色あたりの位置になるかと思います。

(推定なので、大きめにとっています)

 

なんばパークス駐車場遺跡

上の写真を極限まで拡大してみると、「遺跡」の位置あたりに東西に細長い建物が存在していることがわかります。「遺跡」も東西に伸びている形になっているので、これはかなり答えに近づいてきたものと思われます。
もう一つ気づいたことがあります。上の写真①の部分、高架線が途切れているような感じがします。カメラの都合でもなさそうです。

これに引っかかって207さんの写真を改めて見てみると。

 

なんばパークス駐車場遺跡

南海の高架線のピンクの◯の部分…位置も昭和17年航空写真とほぼ同じと思われます。これ以上詳しいことは調べようがないですが、ちょっと気づいたことを。これを突破口に、誰かが何か新しい発見をしてくれることを祈って。もちろん、「お前の気のせいじゃ!」も含めて(笑)

で、黄色で囲んだ建物も専売局の一部ではないかと思っていたのですが、別のブログによると「日本皮革㈱」の大阪支店(工場)があったとのこと。

□参考ブログ

「日本皮革㈱」は現在の㈱ニッピのことですが、大阪金属略してダイキン、東洋レイヨン略して東レ、そして日本皮革略してニッピ…こういう略し方&会社名が多いですな。

それはさておき、上の方も「遺跡」跡にあったのが日本皮革大阪支店だったというソースは出していないので、ソース重視の私としては「??」としておきますが、それを間接的に証明するものを意外なところから見つけました。

 

センタラグランドホテル大阪ニッピ難波土地
出典:センタラホテル&リゾート、大成建設、関電不動産 難波中二丁目における開発について

 

なんということでしょう!!!

 

「遺跡」が出てきたあの駐車場の土地、日本皮革改めニッピ所有だったのです。

さらにニッピのHPを見てみると!

 

なんばパークス
出典:当社なんば地区所有地の開発について 

なんということでしょう!!!

これで、航空写真の建物は旧日本皮革の建物であることは、ほぼ確定ですね。

というわけで、あの「遺跡」は旧日本皮革工場跡だった…めでたしめでたし!!

 

「遺跡」は一体何だ!?ニッピに聞いてみた(笑

でも、あることが喉元に引っかかってたまりません。

ヤマダ電機横駐車場遺跡

「遺跡」が「出土」した駐車場がニッピの所有地であることはわかった。しかし、ニッピの工場にしてはこの「出土物」、古過ぎはしないか。この素朴な疑問が消えません。こう見るとレンガに見えるのですが、「上部分は無理矢理もぎ取られたかのような」(207さんのブログ内の言葉)部分の断面を見ると、コンクリートっぽくもあります。

大阪工場がいつ出来たのか、ググっても記録には残っていません。昭和40年(1965)に西淀川区に大阪支店を移転ということしか判明しないのですが、では旧日本皮革はいつここに工場を建てたのか。
社史を見ればわかるかもしれませんが、今はインターネッツの時代、会社HPの「お問い合わせ」からメールして担当者に聞いてしまえ!
とばかりに直メールしてみました。

数日後に回答が返ってきたのですが、箇条書きすると以下のとおり。

1.ニッピは1907年に当時の(株)桜組、東京製皮(資)、(名)大倉組皮革製造所、(資)今宮製革所が合併し、設立

2.(名)大倉組皮革製造所が大阪を拠点に営業していたこともあり、設立当初から大阪にて営業

3.(名)大倉組皮革製造所の発足は1893年

4.大倉組皮革製造所の前身の会社は数社あり、もっとも古いものは1879年頃から操業と言われている

5.難波にあった工場については、増改築が頻繁にあってよくわからない。ただし、明治の終りから大正にかけて大阪工場の設備を増強しており、「出土」したのはその頃の建物と推測される。それ以上はわかんない

自分から質問しておいて何ですが、「そんなこと知っとるわい」であまり参考にならなかったのですが、後日図書館で社史をあさっていたら…

ニッピ85年史
(『ニッピ85年史』より)

大倉組皮革製造所発祥の地があの難波御蔵の南…遺跡が発掘されたところではないですか!さらに…

ニッピ難波
(『ニッピ85年史』より)

「明治31年(1898)2月」と書かれた大倉組皮革製造所の建物図まであるではないですか!担当者め、ブログに晒されるとは知らず手を抜きやがったな(笑

おそらく、この当時の建物が「遺跡」として出土したのではないか、そう推定したのですが…

難波大倉組皮革製造所

大倉組皮革製造所

明治35年(1902)の書物に掲載の写真を見ると、典型的な日本家屋。「遺跡」のようなレンガやコンクリではありません。もしかして、「遺跡」はもっと新しいものかもしれませんが、ニッピさんも「増改築が頻繁にあってよくわかんない」としているので、大正以降とひとまず仮定しておきます。

これで、個人的にはスッキリしたところですが、既にこの遺跡は埋められ、ホテルの下にて再び長い眠りにつくことでしょう…かつてここに皮革工場があり、2019年に「遺跡」として一時的にお日様の光を浴びたことを、このブログにてお伝えしておきます。

 

実は、ちょっとした「続編」があります。

□続編(マイブログ)
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