「恐竜」の陰で怯えていたあのスーパー
ダイエーvsSATYという恐竜どうしが壮絶な食い合いをし、草食系スーパー(?)のイズミヤとライフがその横で草を食っていた1980~1990年代前半の地元小売業界でしたが、彼らの街の片隅で、ひっそりと営業していた小さなスーパーがありました。
子供の行動圏からは外れるのですが、大人の生活圏内にはJUSCOというスーパーもありました。JUSCO改めジャスコ…って同じですが、ご存知イオンの前身です。
堺の、南海電鉄の諏訪ノ森駅前にその昔、小さな、小さなジャスコがありました。
といっても、今でも「イオン諏訪ノ森店」として現役なのですが、最近、超ひさしぶりにこの店を見た時、あまりの「成長ぶり」に驚きを隠せませんでした。
私が知っている「ジャスコ諏訪ノ森店」は、今の一店舗型100円ショップほどの、小さな小さなスーパー。建物はボロボロとまでは言わないものの、ピカピカのダイエーに比べると子供の目から見ても見劣りしていました。
まともにやりあったら到底勝ち目はない。進撃の巨人、ダイエーに怯える小動物。それが私の小中学生の頃、1980年代のジャスコでした。
しかし、当時の私は知りませんでした。関西ではダイエーが左団扇で君臨していたこのころ、ジャスコは虎視眈々と恐竜の急所を狙っていたことを。
逆襲のジャスコ
昭和40~50年代は洪水のように進出するダイエーにフルボッコにされていたジャスコは、ある戦略を立てます。
それは「逃げの戦略」。逃げて逃げて逃げまくる。攻撃は最大の防御、敵前逃亡は死刑一択の日本では感情的に受け入れがたい戦略でした。
具体的には、ダイエーが進出する大きな都市を避け、小さな小都市や、町と町の間にある郊外に店舗を構えるというものでした。
具体的に説明すると、兵庫県なら、ダイエー帝国の本拠地である神戸市や阪神間、明石や姫路には進出せず、加古川や小野などの隙間に店を出し、ダイエー恐竜が進出してくると真っ向勝負はせず、傷が浅いうちに撤退することもありました。
当然、リアルタイムではこんなこと知る由もなかったですが、今こうして客観的に見ると、当時のジャスコの社長は中国史を経営に応用したのかもしれません。強敵とは戦わず逃げまくった結果、天下を取った劉邦(漢の高祖)という実例が古代中国にあるからです。ジャスコの「逃げの戦略」は、劉邦の戦略そのままだと私は感じました。
しかし、劉邦もそうであったように、ジャスコもただ尻尾を巻いて逃げていたわけではありません。逃げながらじっくりと実力を蓄え、刃を磨いて逆襲の機会を伺っていたのです。
臥薪嘗胆ン十年、その時はやってきました。
地方で実力を蓄えたジャスコは平成元年、満を持して「イオン」に屋号を変更します。といっても、海外は相変わらず「ジャスコ」で、私が中国に留学・駐在していた当時の中国・香港のジャスコは、2002年でもJUSCOのままでした。
ちなみに、ジャスコは中国語で「吉之島」と書くのですが、広東語だと「カッチートウ」、北京語だと「チーツータオ」と、ジャスコとは似ても似つかぬ発音。ジャスコが何故「吉之島」なのか、いまだにわかりません。考えてみてもわかりません。ネイティブに聞いてもわかりません。誰か知っている人がいたら教えて下さい。
ジャスコがイオンに脱皮したころ、流通の巨大船ダイエー丸の舵取りが怪しくなり始めていました。バブル崩壊でイケイケの店舗経営に陰りが見え始めたのです。
さらに、1990年代は郊外に巨大なショッピングモールを作る方式が主流となり、イオンとイトーヨーカドー(セブン&アイグループ)がその波に乗りました。
対してダイエーは駅前などの市街地型。ダイエーは店舗と同時に土地も買い、それを担保にまた店+土地を…という、バブル型経営でした。これ、バブルがはじけると「とんでもないことになる」ことは、今なら高校生でもわかります。
その昔、ダイエー内のモチベーションがいまいちだったのは気のせいではなく、ダイエー丸に穴が開き船体が傾き始める前兆だったでしょう。
攻守が逆転したイオンは、昭和時代にいじめられた鬱憤を晴らすかのように、ダイエーを閉店に追い込みました。昔はさんざんバカにしていた、かつての弱小スーパーに食われていくザマを、ダイエーは想像すらしていなかったことでしょう。
さらに追い打ちをかけたのが、専門量販店の成長。例えば「しまむら」「ユニクロ」「ニトリ」などです。
彼らはアパレル・家具などの餅屋の特性を活かし、小回りのきいた商品展開を行いました。
また、この時は円高の時代。生産拠点を海外に移したり、輸入ものを販売するするなど、「良い品をより安く」のお株を奪う販売を行いました。
ダイエーは、恐竜だったからこそ小回りがきかず、時代に取り残されてしまったのです。
かつては敵なしだった超弩級戦艦ダイエーが、航空機の雷撃を浴びて沈んでいく姿…我々は過去の歴史で見たことがあります。
100年前の日露戦争、世界一と謳われたロシア帝国海軍に比べれば、日本海軍など蚊トンボ程度でした。世界の下馬評も、1000人中999人がロシア勝利でした。
しかし、先人たちの努力の結果、世界最強がその蚊トンボに破れたことは周知のことです。
その50年後、世界海軍界のビッグ3にまで成長した日本海軍は、自分らが「飛行機の時代」の幕を上げたのに自らの頭がついて行けず、巨大戦艦たちは飛行機と潜水艦という蚊トンボの攻撃を受けその巨体を海底へ沈めていきました。ダイエーは、ン十年前に日本海軍が冒した歴史と全く同じ轍を踏んだのです。
ダイエーの没落の原因は、巨大企業なのに個人業主並のワンマン経営、その経営者が「安ければ買ってくれる」の時代が終わったことを読めなかったなど、挙げていけば山ほどありますが、一言で言えば「環境(時代)の変化についていけなかった」のです。
生物の法則では、環境の変化についていけない生き物は滅びゆくのみです。ダイエーはその法則が経済社会にも当てはまることを、企業をもって証明してくれたのです。
逆襲のイオンの頃、私は当時中国におり、イオンの躍進とダイエーの衰退を消費者として経験することはあまりありませんでした。
ところが、気づけばイオンばかりなり。オレンジのダイエー帝国だった関西にも、ピンクのイオンの旗が目立つようになりました。
同じピンクのSATYも、結果的に経営破綻した挙げ句イオンに吸収されていきました。
ところで、私が幼い頃、こんな歌が流行りました。
「ジャスコで万引き、(チャララーン)ダイエーで食い逃げ、ニチイで捕まり、警察(刑務所)へ♪」
全国規模で流行った(らしい)ジャスコの歌の替え歌ですが、これが有名になりすぎて元歌がわからない人が多いと思います。かく言う私も知りません(笑
誰が考えたのかわからない出処不明の替え歌でしたが、これらがのちに同じ「イオングループ」として同じ会社になることを、「ジャスコで万引き♪」と歌っていた我々は知る由もない。
これが今なら、
「イオンで万引き、(チャララーン)イオンで食い逃げ、イオンで捕まり、警察へ♪」
…全部同じやんけ!!
盛者必衰の理をあらわす
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ
『平家物語』の冒頭の有名なフレーズです。
幼い頃からお馴染みだったダイエーが衰退し消えていく様は、まさにこの平家物語のとおり。ダイエーマークのオレンジの色、盛者必衰の理をあらわすといった感じでしょうか。
不沈戦艦が沈んだように、恐竜企業も舵取り一つ間違えると、その巨体ゆえに滅んでしまうのです。世の中に絶対はありません。
(ダイエーHPより)
現在のダイエーの店舗数は175。かつては全国に400店舗以上あったそうですが、今は関東と関西のみ。イオンの完全子会社として、人工呼吸器をつけないと生きていけないようなひ弱な存在に。
あの元気だったダイエーの姿を知る者の一人として、この姿は見るに堪えません。
おごれる人も久しからず。50年間の繁栄も風の前の塵のように去りつつあります。
これを、経営者の怠慢なので自業自得と冷たく切り捨てることもできます。
しかし、それに一抹の寂しさを感じるのは、私だけでしょうか。
そして、現在は高笑いが止まらないイオンですが、それでもいつ「食われる」側に立つかわかりません。
そう、かつての恐竜、ダイエーのように。
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