出雲とくれば出雲大社。これは1+1=2であるというほど普遍的な定理です。
行こう行こうと思ってはやン十年、ここを初めて訪れたのは2020年元旦のこと。元旦のみ有効のJR乗りたい放題チケットの途中下車で訪れたのですが、そのときの出雲大社は初詣の人・ひと・ヒトの山。全く身動きが取れず、写真の鳥居にすらたどり着けなかったほどでした。
それが数ヶ月後、コロナ禍になってしまうとは誰が考えていたでしょうか…。当然、大社の鳥居を見ながらくぐることができなかった、元旦の私はつゆほど感じていませんでした。
ところで、JR出雲市や出雲市中心部から出雲大社へはバスもありますが、一畑電鉄の電車ものんびり走っています。現在は道路状態も良くなってバスや自家用車での参拝も多いなか、観光用に車両を改造したり健闘しており、ついつい応援したくなります。地方のローカル鉄道ですが、コロナ騒ぎ前の元旦には駅から人が溢れていたほどの賑わいでした。
そんな一畑電車の出雲大社の玄関駅が、出雲大社前駅となります。
この駅は、昭和5年(1930)2月に「大社神門前」として開業しました。
この駅舎は開業当時に建てられた、鉄筋コンクリートの平屋建ての洋風建築。蒲鉾のような半円形の容貌と、緑色に焼かれた洋瓦がこの駅舎のインパクトとなっており、大社の門前町という「和」の中に突如としてあらわれた不純物なしの「洋」、現在でも周囲に対し強烈な個性を放っています。現在でもかなり攻めてるなという感があるデザインなので、建てられた当時の衝撃と目立ちぷりたるや、容易に想像がつきます。
(Wikipediaより)
現在の駅舎は、出雲大社の遷宮を記念して平成24年(2012)に原型を残して改装されたもので、改装前は上のような少しくたびれた姿でした。レトロなまま残して欲しい気持ちもあるけれども、これは要改装的なくたびれ具合。
開業当時のステンドグラス
駅舎自体は延命措置が取られた上でリフォームされましたが、駅構内も、ステンドグラスや旧切符売り場など、実に当時の面影をよく残しています。
駅舎の建設に携わったのは、当時の新聞記事によると「安藤組」とされています。鉄筋コンクリート建築を得意としたゼネコンらしく、その後「安藤建設」に改名、現在はハザマと合併し「安藤ハザマ」となっています。
工費は3万円。「屋内の装飾は最新流行の分離派を取り入れ、屋根瓦は青色の仏蘭西瓦を用い」ており、なかなかに金をかけたことが伺えます。
この駅舎の設計は、木子七郎という人物だと言われています。一畑電鉄に残る資料によると、昭和4年10月10日の重役会議で木子に設計を依頼したという記録が存在するのですが、肝腎の契約書やブループリント(図面)など、「とどめの資料」が残っていないという状態にあります1。今後の調査に期待しましょう。
駅構内は、鉄道マニアが喜びそうな終端式のホームになっており、終着駅にひさわしい構造と威厳を保っています。地方の中小私鉄と言いますが、終着駅の雰囲気はやはりどこも同じ感覚がします。
そんなむさ苦しいほどの「洋」の出雲大社前駅に対し、「和」の神髄の如き対称的な駅が同じ町にありました。「あった」といっても現在も「ある」のですが、そんな和たっぷりな駅は下のリンクをどうぞ。本記事が短い分、大社駅の記事もお楽しみいただければ幸いです。
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