芥川龍之介の自殺は「発狂」!?仮説−大作家の死と気温の関係
この発狂記事の翌日、日本史を揺るがす「大事件」が起こっています。

芥川龍之介の自殺です。
彼が自殺したのは同じく昭和2年の7月24日。

彼の自殺は、暗い昭和史の始まりの暗さを示すセンセーショナルな出来事として取り上げられることが多いですが、果たしてそうなのかと。
「ぼんやりとした不安」
という彼の遺書の言葉のとおり、芥川が今で言う抑うつ状態になっていたことは確か。
しかし、この自殺のトリガーを引いたのは、暑さのせいじゃないか!?
こんな仮説を立ててみました。
昭和2年(1927)7月 東京の気温の傾向
当月の最高気温は軒並み30℃超えが続くものの、それでも最高で31℃くらい。今の40℃近いクソ暑さを考えれば、涼しいとはまでは言わないけれども、まあ悪くはない気温かなと。
しかも、この時期は雨が降れば気温も下がる。5日は1日の降水量が80ミリを越えた大雨でしたが、その日の最高気温はなんと24.9℃!誤字でも最低気温でもありません(笑
筆者の部屋のエアコン設定温度が25℃なので、それより涼しいのです。
なお、7月の最低気温は19℃でした。
しかし、20日を越えると状況が変わります。
21日は31.4℃といつもの最高気温ながら、22日には一気に35℃に。冒頭の新聞記事の男性が発狂した日です。横浜でも32℃超えなのに、東京はもっと暑かったのです!
そして23日。最高気温は下がるどころか、35.6℃に。
当時はエアコンどころか、電気扇風機すらブルジョワしか手に入らなかった贅沢品、涼を取るツールが「水浴び」しかなかった当時としては、低温サウナにずっと入っているようなものです。
そして24日は、芥川龍之介が自殺した命日、つまり「河童忌」となります。
彼が自殺した時間は明らかではないようですが、23日は土曜のせいか午後から来客が多く、機嫌はかなり良かったと言います。
24日の午前2時前まで生きていたことは、妻の文や同居していた甥の証言から明らかなのですが、その4時間後の朝6時に妻が目を覚ますと龍之介は青白い顔をして苦悶していたそうです。
なお、浅く荒いものの、この時は息をしていたそうですが、医師が着いた時にはすでに家族もダメだと感じたそうな。
なお、死の時に着ていた浴衣は、死の7年前に「ルポライター」として中国へ渡った時に買ったものだったとか。

芥川龍之介が亡くなった当日の天気図です。
未明から雨が降り出し、天気図も●の雨マーク降水量は最高で2ミリ程度なのでさほどの量ではないものの、気温はここ数日の「狂熱」とはうって変わって、最高でも26.8℃とずいぶん過ごしやすくなりました。
芥川龍之介が以前から神経衰弱を患っていて、自殺未遂を何度か起こしていました。が、この河童忌に果てたのも、もしかしてこの前日、前々日の、実際に発狂者が出たような狂熱の中でトリガーが発動してしまったのではないか…
「暑さから発狂」の記事を見る度に、筆者はそう思いたくなるのです。
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