陸軍と脚気-真田山陸軍墓地に眠る「戦病死」に隠された真実

帝国陸軍を悩ませ続けた脚気と、陸軍軍医堀内利国 歴史探偵千夜一夜
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脚気と闘った陸軍軍医、堀内利国の墓

真田山には、ある一人の陸軍幹部の墓があります。

堀内利国の墓

かなり立派な石で造られたその墓標は、一目で偉い人の墓だなとわかるものですが、この墓の主の名は堀内利国と言います。
明治28年(1895)に亡くなり、ここに埋葬されたそうです。

陸軍は、全員が全員、カチンコチンの細菌論者ではありませんでした。
陸軍軍医だった堀内利国もその一人でした。
いや、堀内自身も実はガチガチの伝染病説論者。「麦飯が効く」など漢方医の迷信と聞く耳持たずでした。

が、部下に

麦メシの監獄では脚気患者がほとんどいないであります!
エビデンスもあるであります!

と理詰めにされ、ならばと神戸監獄に部下を派遣し調査させたところ、脚気の原因を栄養の偏りと見抜きました。
堀内は庶民に偏見が少ない大阪の部隊で麦飯を試してみたところ、麦飯を食べる隊の脚気患者が数人程度に減少しました。

同時期の歩兵第一連隊(東京)の患者数967人、歩兵第四連隊(仙台)で272人の患者が発生したことを考えると、数人なら見なしゼロ。

この報告は、同じ脚気で悩んでいた明治天皇の耳にも届き、天皇自ら大阪へ出向き、堀内から話を聞かれた記録が残っています。

実は、明治天皇も脚気にかかり、終生苦しんでいます。
明治天皇は漢方の「脚気には麦食が良い」という慣習的な療法を望みます。が、西洋医学万能に凝り固まった側近たちが漢方医を近づけず、結果天皇の症状は悪化。内親王まで脚気で亡くなってしまう有様。
それ以来、明治天皇は大の西洋医学嫌いになってしまいました。


が、日清・日露戦争で陸軍が脚気に頭を抱える歴史的事実を見ると、その結果が採用されることはなかったんでしょうな。

明治天皇は述べています。

明治天皇
明治天皇

「病気に関しては漢方・西洋医学の区別なく研究すべきであり、お互い協力すべきである。脚気については漢方の麦食療法が確実に効果を挙げている。それを西洋医学の方が学ぶべきではないのか」

明治天皇のお言葉、ロジカルでかつごもっとも。

脚気の日本史から学ぶ歴史の教訓は、

筆者
筆者

最先端の科学でも盲信することなかれ。違う見方の説も一考の余地あり

というところでしょうか。

ただ、海軍の高木兼寛と同様に、堀内も

じゃあなぜ麦が脚気に効くんだ?

という科学的な説明はできませんでした。
それゆえ、ほーら迷信乙、効いたのは偶然じゃないか!と陸軍どころか海軍でも慢心して脚気が増えたのは前述のとおり。

高木は鈴木梅太郎博士による「ビタミンB1の発見」時には生きていたものの、脚気がB1欠乏症だと医学的に確定したのが大正14年(1925)なので、二人とも科学的解決を見ることはありませんでした。

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