まれにしかない資料、それは…
で、その「レア資料」とやらがこちら。
古い和紙の匂いがまだ強く残った、いかにもボロそうな封筒。
そして、達筆すぎて(?)何が書かれてあるかわからない文字。
しかし、なにやら「娼妓」という文字や、人名らしきものは判別できます。
これ実は、
「娼妓証文」
というもの。娼妓になる際に娼妓本人、その親と雇用主である妓楼の楼主との間で交わされる、今風に言えば雇用契約書です。
証文は書物には「あった」ということは書かれているものの、現物が残ってるケースは珍しい。遊郭のことを調べ初めてン年、現物とは初対面です。
図書館に残っているのは、写真でもわかるように五通です。が、一通は封筒だけで中身は空っぽ、実質四通と思っていいでしょう。
封筒が入っている和紙の袋には、
「木辻遊廓娼妓之証文」
と記載されています。図書館の話によると、いつかは不明ですが、木辻遊廓の元妓楼の楼主が、家に残っていたものを寄贈したものだそうです。
木辻遊郭とは奈良市にあった廓のことで、隣にあった花街の「元林院」と並んで全国的にも有名な色街でした。その存在は中世から確認できると言われており、井原西鶴の『好色一代男』にも出てきます。研究者によっては、「日本でいちばん古い遊廓」の一つにも数える人もいます。
木辻遊郭は有名だった分資料も多く、いつかは書かないといけない廓の一つですが。それはまたの機会にして中身を見てみましょう。
まずは、この証文に出てくる「登場人物」を。
娼妓の名前は、
・森タツ
・中村ムメ
・海老ヤエ
・◯◯さと
の四人。五通中四通の娼妓の名前ですな。一通は封筒のみなので名前は不明です。
最後の「◯◯さと」の「◯◯」の部分は、私の古文書(?)読解力では漢字が判別不能につき、伏字にします。以下苗字を省略して「さと嬢」と表記します。
…と思ったら「成尾」だというコメントをいただきましたので、以後「成尾さと」とします。
まずは、森タツ嬢の「金借証」です。これは文字通り「借金の借用書」、初っぱなから生々しい書類が出て来ました。
「金借証」に書いてある内容はさておき、娼妓は事実上の借金の担保でした。親の借金を娘が肩代わりして、自分が遊廓で働いて借金を返していき、借金全額返済になったり、働く契約期間が終了したら終わり、というものでした。
遊里史を研究している人なら誰でも知っている基礎知識です。が、知識としては知ってても「借用書」の現物を見る機会は滅多にありません。かく言う私も、現物を拝見するのは当然初めてです。
「金借証」には日付も書かれています。日付は「明治32年4(?)月27日」、西暦に直すと1899年。何とギリギリ19世紀の書類でした。そりゃ貴重やわな。
なお、他の人の書類の日付は明治33年(1900)、120年前の証文でした。
そして、もう一つの驚きがあります。
100年以上前の「金借証」にも、印刷済みの「テンプレ」が存在していたこと。テンプレがある以上、空欄の部分に数字と名前を入れたらそれで契約書の出来上がり。
要するに、借用書を書いて娼妓として「契約」することは、今こうして目にしているものが特例ではなく、何十人、いや何百人も同じ書類に目を通し、サインをしていたということは、容易に想像ができます。
森たつ嬢には他にもう一枚、謎の借用書が存在します。他の人は「金借証」一枚だけなのに、森嬢には何故か「付け足し」が。
うーむ…字が達筆すぎて何書いてるかほとんどわかりませんが、収入印紙が貼られており、手書きとは言え公的に効力を発揮するれっきとした書類だと思われます。
この書類、最初の「金九円也」がキーポイントだと思います。文字がさっぱり読めん!という前提の勝手な推定ではありますが、森たつ嬢、ではなくその親は、「金借証」とは別に楼主から金を「金九円」の借金をした借用書かな!?と。
なぜならば、「身売り」で九円はちと安すぎということ。
当時の「九円」は、森たつ嬢が娼妓になった全く同時期の物価換算で言えば、今の10万円±3万円程度です。
そして、この「九円」が娼妓の借金価格ではないことの証拠その2は、
海老ヤエ嬢の娼妓証文の一つの借用書には「金壱六拾円也」、
成尾さと嬢は「金壱百八拾円也」(※180円)と明確に書かれているので、なんぼなんでも「九円」はないやろう、というのが私の根拠。
ちなみに、当時の130円や180円で何が買えたのか。
明治中期、1900年前後の東京でのうどん一杯が2銭、米10kgが約1円でした。また、給与規程が記録として残っている公務員の場合、判任官という下っ端国家公務員の月給が22円10銭。明治30年(1897)、第五高等学校1教授だった夏目漱石の給与が月額100円でした2。
つまり、成尾さと嬢のお値段は漱石の月給約2ヶ月分だったいうことです。が、庶民の次元では100円あれば米1トン分、うどんは何杯食えるのか私の計算能力では換算不可なわけで、かなりのお金であったことがわかります。
「特約書」と書かれた書類です。被契約者はさと嬢。同じ期日に「副契約書」があるので、こちらは「本契約書」か?
日付は明治33年7月20日、成尾さと嬢とその親は、どんな気持ちでこの書類にサインをしたのでしょうか。120年の月日は経っていても、まだ彼女らのぬくもりが残っているような気さえします。
証文を見比べて違和感を感じたことがあります。森タツ嬢にはハンコがあるのですが、成尾さと嬢と海老ヤエ嬢の書類には、副契約書ともに印鑑がありません。
これは何を意味するのか?特に意味がない?それ言うてしもたら終わりやん(笑
想像力を駆使して考えてみると、この二人の家庭は印鑑を作る経済的余裕がない、もしくは文字が書けない(文盲)で、誰かが代筆したのかという仮説が浮かんできます。
とある遊郭の本で、遊郭事務所で書記として働いていた人の回想があります。それによると娼妓たちは小学校卒がやっとの低学歴が多く、自分の名前もロクに書けない、書けてもひらがなが関の山な人が多かったと。
彼女らとは少し時代が違いますが、こんなデータがあります。
■娼妓たちの最終学歴
尋常小学校中退:52.9%
尋常小学校卒業:28.4%
無就学:13.3%(出典:『日本公娼史』 山本俊著)
※大正13年(1924)、内務省警保局(現警察庁)が全国の遊郭で働く女性48,129人から取ったデータ
学歴からしてこれです。おそらく自分の名前を書けるのが関の山、もしくは仮名ならなんとか読める程度だったのではないかと。
高等女学校卒が娼妓になろうとしても、警察の審査の時点で「もっとまともなとこで働け」と警察の審査で却下されとったと思われます。
確かに、よく見てみると、署名が「達筆」ということに気づくことができます。親はまだわからないでもない。が、おそらく小学校出ているか出ていないか、ヘタすれば学校にすら行ってない「無就学」でこんな「達筆」はあり得ない。
真実はどうかは、120年経ってしまった今ではわかりません。が、、他の人はちゃんとハンコ付きなのに対し、彼女ら(及びその親)だけサインのみというのは、やはりおかしい。まあ、ただ単に「あ、ハンコ忘れちゃったい♪」ということも、確率としてはゼロではないのですが…。
こちらは「副契約書」。
こちらは「本人が毎月支払うべき諸経費一覧表」みたいなものらしく、服装代も実費として天引きされていたことがわかります。「雑費」はおそらくは食費などで、他にも「事務所の組合費」や借金の利子などもあって、これを合わせたら毎月かなりの額が飛んでいくことになります。
おまけに、娼妓の給料は固定給ではなく完全歩合制。稼ぎが悪かったら「諸経費」も「借金」になることは明白。
さらに、以前のブログでも書いた内容ですが、当時の奈良県の『娼妓取締規則施行細則』によると、病気の時の治療費まで娼妓側の全額負担でした。労災どころか国民健康保険もない時代、病気になったら一発アウト、結核や梅毒になったら仕事が出来ない→借金返せない→借金がどんどん膨らむという、進むも地獄退くも地獄の悪循環。
そのため、娼妓は無理してでも「仕事」せざるを得なかったのですが、それが遊郭で働く娼妓たちの平均寿命を短くした(東京某遊郭で死亡した娼妓の平均死亡年齢が24歳)原因だと思われます。
ちなみに、これが改正され治療費が全額「楼主側負担」になったのは、奈良県の場合この証文から26~25年後の大正15年(1926)のことです。
これじゃほとんど「ぼったくり」な内容やん!借金の返済なんか出来るんかいな!?と思ったのは、私だけやないはずです。まあ、「返せるほどに働け」ということでしょうが。それでも親のため、家族のために、自分の身体を粉にして健気に働いた彼女らが確かにこの世に生きていた、この世で何かを残した存在証明書とも言えるのが、この書類かもしれません。
ここに名前が載っていた4人の女性たち、彼女らは果たしてその後どうなったのか。
残念ながら、この史料では何も語ってくれません。おそらく、彼女らのその後は時代の大波に呑まれて、歴史の大海の底で眠りについているのだろうと思います。
それを掘り下げるのは、120年もの歳月が過ぎてしまった今では手がかりも残骸もない以上不可能、想像力に任せるしかありません。
彼女らが確かに遊郭で生き、頑張って働いていた時代から1世紀以上、年号も明治から大正、昭和、平成、そして令和へ。図書館の書庫の奥底から掘り出した遺物を見て感慨にふける私の姿を見て、彼女らが
「やだ、恥ずかしいわ」
と顔を赤らめながら、泉下でひそかに微笑んでいることを祈ります。
コメント
貴重な資料をありがとうございます。
達筆な字、さしでがましく恐縮ですが、おそらく
さと さんは、成尾さと です。
海老ヤエさんは160円、
さとさんは180円です。
ほかはよく読めません。
ご指摘ありがとうございます。確かにそう見ると「成尾」と読めますね。
値段も含め、本文を訂正しておきました。