「日本人はなぜ英語が苦手なのか」という永遠のテーマ
通訳として働いていた頃、外国人によく聞かれた質問がありました。
日本人はなぜ、これだけ教育レベルが高いのに英語が話せないの?
英語に限ったことではありません。日本人は何故外国語が苦手なのか?ある意味我々にとっては永遠のテーマです。
いろんな人がいろんな要因を挙げて語っていますが、よく挙げられる説を。
1.日本語は他の言語と比べて文法構造がうんぬん
この理屈が成り立つのであれば、英語と文法構造が違う韓国人やモンゴル人、フィンランド人なども苦手でないと理屈が成り立ちません。日本語だけが特殊なのではありません。
実際は、モンゴル人は英語(以前はロシア語)のバイリンガルが多いし、フィンランドの英語普及率は政府が「100%宣言」しています。
これで論理が破綻します。
2.日本は島国だからうんぬん
同じ島国のアイルランド人が英語とアイルランド語のバイリンガルという理屈は?
フィリピンがタガログ語(や他の言語)+英語のバイリンガルということを、「島国」というキーワードで説明できますか?
この論理が成り立つなら、イギリス人は英語しか話せないという理屈になっちゃいますが?
これも論理が破綻しています。
外国人の素朴な質問、
「日本人はなぜ英語が話せないのか?」
に、私はこう答えています。
話せないのではなく、「話さない」の
私の仕事の武器としての第一外国語は中国語なのですが、専門的なものや同時通訳という無茶ぶりじゃあなければ、英語の通訳翻訳も、まあそれなりにできます。
なので、時折英語の翻訳・通訳も頼まれたりしていたのですが、そこで気づいた興味深いことがあります。
それは、頼む方は頼む方で、外国人が何を言ってるのか内容はわかっていること。一般論として日本人は英語のリスニングが苦手と言われていますが、あれ、案外わかってるやんと。
しかし、わざわざ通訳を呼ぶ。
これは一体どういうことなのか?外国人に説明しても理解できません。そりゃ私も理解できないですから(笑)
今回は、他の人が採り上げない、見落としがちな日本独特の文化的要因から、日本人は何故英語を含めた外国語が苦手なのかを考察していきたいと思います。
その1:完璧主義
Made in Japanの製品は、世界最高品質というレッテルが貼られているくらい、世界中で信頼を勝ち得ています。海外に住んでいるとそれをひしひしと感じます。
SONYやTOYOTAの海外でのブランド力は、日本人の想像以上。日本にいると全く感じませんが、外国人に言わせれば「日本人を見るとTOYOTAの車やNINTENDOのゲーム機に見える」というほどです(笑)
その根本は、日本人の職人気質にあります。
より良いものを、更に良く仕上げるために努力する姿勢、これがMade in Japanブランドを支える底辺。
トヨタの「カイゼン(改善)」は、英語辞典に載っているほどビジネス界で知られていますが、我々が「当たり前やんか」と思いサラッと出来ることが、外国人にはできそうで出来ないこともあります。
そして、職人気質は完璧主義。99点のものでも、1点のマイナスを克服するために頭と手を使い、更に努力していく。100点、いや100点以上のものを作るべく研鑽を積む。それが職人のプライド。
その職人主義が、我々日本人のDNAに刻まれていると言っても過言ではありません。生真面目な性格な日本人らしい「特殊能力」と言えます。
しかし、こと語学になると、この職人気質がとんだ足かせになってしまいます。
日本人の完璧主義が語学に与える影響は、かなり大きいです。
発音や文法が「完璧」ではないといけない…。
完璧でないと己の英語をお披露目することなんてとんでもない…。
そういう職人気質が、外国語を「話さない」気質に変えているのだと。
歌人の斎藤茂吉という人物がいました。彼の息子である、どくとるマンボウこと北杜夫によると、父茂吉は完璧主義でかなり厳しく怖いオヤジだったそうです。茂吉の写真をググってみると、出てくるのは気難しそうな顔ばかり…これはちょっとお友達にはなりたくないタイプ。
その茂吉がオーストリアのウイーンに留学していた時のこと。教授が茂吉に話しかけても、彼は一言も発しない。ジェスチャーなどはするものの口を真一文字にして全く話さない。教授はついに、
彼は失語症なのか?
と呆れたそうです。
斎藤茂吉はドイツが話せなかったのか?否、実はペラペラなのです。留学時の友人によると、街で市民と話すのは難なくこなす。が、教授の前では一言も話さない。
何故かというと、尊敬する教授に対して失礼がないよう、完璧なドイツ語で返答できない時は話さないと。
教授に対するリスペクトではあるのですが、完璧主義もここまでくると…ね。
私が通訳をしていた時も、実はこういう人が多数派でした。
相手の言っていることはほぼ100%わかっている。なんや、わかってるんやんと。でも、話さない。
なぜ?と聞くと、人それぞれしどろもどろ言い訳…もとい回答が返ってきますが、まとめると
「ちゃんと話せないと(筆者註:発音完璧、文法完璧でないと)相手に失礼」
ということ。あんたは斎藤茂吉かい(笑
語学に完璧という終点はありません。ネイティブですら完璧ではないのに、どうして外国人が完璧である必要があるのでしょうか。
やはり完璧でないと…と思う方は、ちょっと胸に手を当てて考えて下さい。
あなたの日本語は、100%、いや150%完璧なのですか?
答えはNOのはずです。
語学に100%や120%を求める必要はありません。80%、いや60%見切り発車で全然OKです。語学でメシ食ってるプロは、プロである以上100%以上を目指すべく心血を注ぎます。それでも、100%には及びません。
習いたての初心者や、海外旅行で困らない程度のものなら、100%なんて全然不要。10%でもいいのです。あとは気合と根性でどうにかなります、にんげんだもの(笑
その2:恥の文化
発音が完璧でないといけない、文法も完璧でないといけない。
完璧でないと、笑われたり指さされるのではないか…
笑われるのは恥ずかしい…
恥ずかしいから話さない…
ある中国語教師が、ツイッターでぼやいていました。
中国語を話す機会・場所がない…
と生徒がボヤくので、LINEで中国語会話スペースを作りました。これで心おきなく中国語を話せるだろう。
…ところが、誰も話そうとしないのです(笑
不満を言うから(部屋)作ってあげたのに、どういうこと?
けっこう混乱していたようですが、私はわかります、よーくわかります。
「日本は恥の文化」
と、ルース・ベネティクトは著書『菊と刀』で説きましたが、この「恥」が語学面で足かせになっています。
自分と外国人の1対1だと抵抗なく話すのに、「複数の日本人対外国人」という場面だと、殻を閉じたように話さなくなる人はけっこう多い。色んな外国人を見ていても、日本人特有だなと感じます。
それは何故かと考えたことがあるのですが、結論は「恥」だなと。1対1だと、間違えても恥はどこかに隠れているのですが、他人の目、世間の目が一つ加わると、「恥」の概念が湧き上がり、途端に話す勇気がなくなる。
その恥は、「周囲の目」の親しさに比例して強くなる傾向があります。周囲の目があると
英語や〇〇語話したい!
という意欲や好奇心より、
友達に笑われたらどうしよう…恥ずかしい…
間違えたら僕のこと軽蔑するんじゃないか…
という恥の方が先にくるのです。
周囲の評価を病的に気にする日本人にとっては、他人に笑われるは恥、恥は死に値するほどの「罪」なのだと。
しかしながら、外国語がどれだけ上達するかは間違える回数に比例します。トライアンドエラー、3歩進んで2歩下がるを何度も繰り返して経験値を積む。これが上達への王道です。
確かに、語学の世界は生まれつきの才能としか言いようがないくらいのセンスの持ち主もいますが、そんな人でもノーミスで語学マスターは無理。なので、
間違えてなんぼじゃ~!
くらいに開きなおると隠れていた語学力が開花するかもしれません。「語学力」とは何ぞやとよく言われますが、それすなわち間違いを恐れない勇気、何度転んでも立ち上がるタフさ、そして何百回間違えても気にしない無神経さです(笑
その3:他人に合わせる、気を遣う
日本人のもうひとつ大きな特徴に、
「他人に合わせる」
というものがあります。
他人の気持ちを読み、他人に気を使う。
これが今、「おもてなし」として海外から来る外国人が、
「日本は素晴らしい!」
と絶賛する第一位と言っていいでしょう。
有名なテレビ番組『Youは何しに日本へ』で、ある外国人が
日本は資源がないっていうけど、
日本人という素晴らしい資源があるじゃん
と興奮気味に言ってたのが印象的でした。よほど感動したのでしょう。
しかし、その気質も語学になると足かせになってしまいます。
相手の語学レベルに合わせないといけない…
完璧な発音・文法でないと相手様に申し訳ない…
この気遣いなんですよね。
私が中国に留学していた時のこと。夏休みの短期留学で仲良し女子大生二人組が、うちの大学にやって来ました。
対して、こちらは日本に帰国する金もない不良留学生。
二人は中国語がほとんどわからないので、
お前どうせヒマだろ。彼女らに日本語で中国語の基本教えてやれ
と学校じきじきに命令されました。
金はいくらだ?学費タダにしろや!
ボランティアに決まってんだろ!
不良留学生がタダ働きの、なんちゃって老師をすることになりました。まあ、確かにヒマだった上に、授業という名目でかわいい女の子と戯れることができる(笑)
語学は、センス・才能も左右します。「天才」という人種も、まれに見ます。
私の経験上、その人の「水に合った外国語」というのが存在します。たとえば、英語はからっきしダメでも、中国語はスポンジが水を吸収するように上達してゆくという風に。こういう場合、私は「中国語の水に合った」と表現しています。
二人組のうち一人は、明らかに「中国語の水に合った」人でした。彼女をA子ちゃんとしましょう。
教え方がヘタクソな私の言うことを、A子ちゃんはどんどん吸収、進歩もすさまじいものでした。もう一人の女の子(以下B子ちゃん)も着実に進歩していったのですが、彼女を1週間(実質5日)で完全に置き去りにできる次元にまで達しました。天才とまではいきませんが、いいセンスは持っていたと思います。
ええ感じやなー。彼女は伸びるぞ!
私も彼女のセンスに期待して「初心者講習」から離れ、本物の老師に託したのですが、少し経ち二人の中国語能力を見てみると、A子ちゃんの進歩が明らかに止まっていました。
そこで、A子ちゃんだけを呼んで聞いてみたのですが、彼女いわく
だって、B子ちゃんと一緒じゃないとかわいそう
二人は仲良しだからこそ、上達が遅いB子ちゃん「待ち」の状態。それゆえA子ちゃんの進歩が止まってしまった。「水に合っている」のに非常にもったいない。
そこを諭して自分だけどんどん進むべき、待つ必要なんかないと説いたのですが、A子ちゃんはでもでもだって…の繰り返し。彼女は自分だけが進むことによって、B子ちゃんとの仲が悪くなったりすることを恐れていたのです。
他人事なのでそれ以上問い詰めるのはやめましたが、仲良しという理由でせっかくの才能を自分でドブに捨ててしまったな…少し残念な思いでした。
この経験から、留学する人にはこんなアドバイスをしています。
語学留学は一人で行け。友達?現地に行けばできる。
寂しい?甘ったれんな!!!
鬼とでも何とでも呼んで下さい、私は語学となると鬼畜生ですから(笑
コメント
自分が言った外国はフランス(姉と義兄がパリに住んでいるので)1回、ロシア3回と全て非英語圏ばかりですが、ツアーじゃない個人手配で行くのは面白かったです。特に1週間滞在中、日本人とほぼ無縁(パリの時も姉と義兄以外日本人は皆無)の生活をしていると、現地のテレビのバラエティ番組で笑える様になれます(「こいつこんな事言ってら」と感覚でわかる様になれます)よ。個人的に一番慣れ親しめたのがロシアですね。特に学校で勉強しなかったのもかかわらずある程度ロシア語は話せます。