ひかりとのぞみー朝鮮・満州を走った国際列車

朝鮮を走ったひかりとのぞみ鉄道史
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そして戦後…奇跡の再会へ

新幹線開業

外地の列車が日本鉄道史から消えて久しい昭和39年(1964)、夢の超特急こと東海道新幹線(以下「新幹線」)が開通し、速達列車に「ひかり」と命名されます。
「ひかり」は一時期、九州の準急(のちに急行)列車に使用されていたことがありますが、そこから超特急への「二段階昇進」を果たした「ひかり」はさぞかし鼻高々だったことでしょう。

対して「のぞみ」は、復活することもないまま昭和を終え、時代は平成に入りました

新幹線を運営するJR東海は、「ひかり」に続く看板列車、「スーパーひかり(仮称)」の設定を始め、列車名をどうするか選定することとなりました。
実は、JR東海の中では「きぼう」で決まっていたそうですが、とりあえず有識者の意見でも聞いてみるかと当時の知識人が参集しました。
その中には、エッセイストの阿川佐和子氏の姿もありました。
彼女の父親阿川弘之は、一般的に「海軍もの」を書く硬派の作家でしたが、もう一つの顔は大の鉄道好き。物書きに鉄道マニアは意外に多く、記録に残る日本史上初の乗り鉄である『阿房列車』こと内田百閒(夏目漱石の弟子)が有名です。その中でも阿川の鉄道好きは「常軌を逸していた」そうで、彼の「旅」の誘いに逃げる文士仲間(遠藤周作や北杜夫など)が、阿川によってユーモラスに描写されています。
その佐和子氏がオタクの父親に列車名のことを尋ねると、

列車名は大和ことばであるべきだ

という意見が。それが頭に入っていたせいか、

「きぼう」を大和ことばにすると「のぞみ」ですね

と。これが決め手となり、列車名は「のぞみ」に正式採用。阿川佐和子氏も著書に書いているので、この流れは間違いないでしょう。

ここで、「ひかり」「のぞみ」が47年ぶりに奇跡の再会を果たします。これはただの偶然。前述したとおり、敗戦ショックか「植民地=悪」という自虐史観か、「あじあ号」など一部を除き外地の鉄道史が日本鉄道史からがっつり「なかったこと」にされていたため、彼女らが鮮鉄でカップルだったことを知る人はおらず。阿川佐和子氏が知らないのはもちろん、JR東海も鉄道ファンからの指摘で初めて知ったといいます。

こうして大陸に散ったカップルが「来世」で本当に一緒になり、現在も仲良く同じ路線を走っている…涙、ああ涙の列車物語でした。

 


・『朝鮮鉄道史 第一巻』
・『大日本帝国の海外鉄道』
・『明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』
・『半島の近影』朝鮮総督府鉄道局 1937年
・『朝鮮之光』朝鮮総督府鉄道局 1930年
・『朝鮮の印象』朝鮮総督府鉄道局 1938年
・ブログ「motoryama7011fの鉄ヲタ日記-義王鉄道博物館の見学」(motoryama7011f様)
・ブログ「植鉄の旅-あかつき・ひかり・のぞみ」
その他資料
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