大阪の「雷伝説」を訪ねるー長承寺の雷井戸と歯痛地蔵(堺市西区)

堺の歴史
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住宅街に埋もれた「雷井戸」

JR阪和線鳳駅の東口を出てすぐ左折すると、熊野街道との交差点に当たります。そこを右折し商店街となっている旧街道を南下、商店街のアーケードをくぐって出た所は、その昔「長承寺」と呼ばれた地域だったそうです。

 

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現在、「長承寺」という地名は残っていません。バス停とだんじりの寄合に、わずかにその名を残しているのみです。「長承寺」そのものも現存していませんが、地名で残っているほどなので、昔は存在していたのでしょう。

 

それはさておき、ここ長承寺にも西福寺のような雷様伝説があることは、前回書いた地域が有名すぎて、あまり知られていません。ググっても3~4件しかヒットしないことから、ほとんど知られていないのでしょう。実際、『くわばらくわばら』の由来として西福寺に来る人は多いものの、ここはほとんど見逃している。嗚呼、せっかく和泉市まで来たのにもったいない。これも灯台下暗しというのでしょうか。

長承寺の雷様伝説はどんなものかというと。

 

昔、長承寺村(今の西区鳳南町)には、家や田圃に家や田圃などに雷が落ちることが多く、村人たちは困り果てていました。
長承寺の住職はその難儀を見かねて、ある夏、境内に落ちた雷を法力を用いて捕まえ、井戸中に押し込めました。
雷は泣きだし「二度と落ちません」と謝りましたが、「落ちないのはあたりまえじゃ、それぐらいでは許すものか」と脅しかけたところ、「では旱天の夏に雨を降らせて差し上げます。『長承寺の雷はん』と何度か唱えてください。きっと降らせます」と誓いましたので、和尚は呪縛を解いてやりました。
それ以来、この地方には雷の災いから逃れるようになったといわれています。

 

「くわばらくわばら」という言葉こそ絡んでいないものの、前回の西福寺などに伝わる物語と、大筋は一緒です。
大阪(2ヶ所)に兵庫、そして長野というなんの接点もない地域に、話の大筋が同じ伝説が残っていることが、日本史の大きなミステリーだし、かつ面白いところですね。

長承寺の雷伝説は、地元では古くから伝承されていたらしく、だんじり(地車)にもこの話が彫刻として描かれています。

ここ鳳だんじりは、知る人ぞ知るだんじりのメッカ。
え?岸和田じゃないの?という人もいますが、ほとんど観光客向けの見世物と化した感がある岸和田に比べ、鳳界隈のは昔の泥臭さを色濃く残す、通好みのだんじり。
だんじりの起源はいくつかあり、まだはっきり決着がついていないのですが、ここ鳳も起源の一つとされています。

 長承寺の雷井戸を訪ねる

長承寺雷井戸の場所

長承寺の雷井戸は、上の地図の矢印の場所にあります。
ここあたりはいわば「鳳の旧市街」に等しく、狭い道が幾重にも絡んでいます。
裏路地大好きな人生裏街道の方冒険好きな方にはたまらない道ですが、方向音痴な方は、かなり不安になることでしょう。

 

雷井戸地図

雷井戸の前には、「南公園」と呼ばれる小さな公園があるのですが、そこを目印にするとベストです。車では到底通れない狭い道なので、車で来るつもりであればどこかで置いて徒歩で来た方が良さそうです。

 

鳳の雷井戸

地名に残る長承寺はここに、あるいはここ付近にあったとされています。
現在はここに薬師如来を本尊とする「ちちやくし堂(乳薬師堂)」が建てられ、お乳がよく出るようにと授乳・安産祈願のお参りをする人が多かったお堂です。

 

鳳の雷井戸

こちらが鳳に伝わる「雷井戸」です。

和泉市の西福寺もそうですが、井戸がとても小さい。雷様はもしかして小人か?

周囲はふつうの住宅街になっておるのですが、その間にお堂と雷井戸という異空間が、口を開けたように存在しています。ふつうならとうに忘れ去られ、壊されていると思うのですが、こうして残っているということは、地元住民によって長い間守られてきた「何か」があるのでしょう。それが本当に雷様かどうかは、雷様のみぞ知る。

NEXT:「歯痛地蔵」とは!?

コメント

  1. Mr竹ヶ城 より:

    長承寺など鳳のだんじりの町の名前
    はだいたい昔の地名だったものですよ。
    昔当時の鳳町が堺市に編入されて
    地名が「鳳南町」などに変えられましたがだんじりの町名だけ残りました。

  2. 浅香 より:

    はじめまして。こんにちは。こちらのブログを最近知りよく拝見させていただいております。ツイッターの記事紹介のツイートから、私にとっても地元に近くなじみのある場所についての記事を見つけ興味深く拝読しました。
    それで、最後の写真ですが、左から「ふだらみち」「よこやまみち」「まきのをみち」と読めると思います。真ん中の、よこやま、は横山、右の、まきのを、は槇尾、いずれも和泉市の地名なので、道標としての役割でもあったのでしょうか。

    ふだら、が謎ですが、ふだらと言えば「補陀落渡海」を思い出しました。
    中世の堺の海でも補陀落渡海が行われていたらしいという記事を最近読みました。関係あるのかどうかわかりませんが…もしそうなら、補陀落浄土への道、ということなのでしょうか。
    最近読んだという記事は書籍で、堺市内の土産物店でも購入できる本です。サイトで元々連載していたもので、下のアドレスで読めます。
    http://www.for-you.co.jp/tour_sakai/column/igaishi/vol02.html

    突然失礼しました。もしすでにご存じでしたらすみません。

    • 米澤光司 より:

      >浅香さん

      はじめまして、拙ブログをお読みいただきありがとうございます。
      石碑の文字のご解読をありがとうございます。「よこやまみち」「まきのをみち」なら和泉方面の道標ですね。
      でも、「ふだらみち」は不思議ですね。「よこやまみち」などと一緒にあるということが余計に不気味で。
      もしかして16世紀の道標なのかしらんと、また調べ物が増えてきそうです。これ以上ブログネタを抱えるとパンクしてしまいますが(笑

      補陀落渡海のことは全然知らなかったのですが、これも興味深いですね。堺にこんなのがあったとは。
      また余裕があれば(ブログネタが溜まりすぎてしばらくないですがw)調べてみたいと思います。

      またよかったらブログを読みに来て下さいね。

      • 浅香 より:

        お返事ありがとうございます。いろいろとお忙しそうですね。
        あとで思い出したのですが、歯痛地蔵の場所は熊野街道(鳳商店街)の近くですね。熊野街道のほぼ終点、和歌山の熊野那智の海岸から、補陀落渡海が行われていたのです。補陀落浄土は観音の浄土。那智山青岸渡寺は西国三十三所観音霊場の第一番札所になってますね。「熊野道=ふだら(く)みち」ということでしょうか。
        またこの近くの上(かみ)交差点が熊野街道と横山・槇尾道の分かれ道ですね。

        なんどもすみませんでした。ブログの他の記事もどれも面白く、今後も楽しみにしております。

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