射撃場跡への里帰り
前述のとおり、射撃場跡は現在UR(旧公団)の向ヶ丘第二団地や分譲住宅が立ち並ぶ閑静な住宅地となっています。今でも決して交通至便とは言えない地にあった射撃場、実際の客は車で来ざるを得なかったでしょう。
その気になれば歩けないこともないです。が、ここ界隈はそもそも阪和電鉄が「トレッキングコース」として案内していたところで、アップダウンが非常に激しい。阪和電鉄のトレッキングコースを体感してみようと、上野芝~射撃場跡~泉北高速鉄道深井駅まで歩いてみたことがありますが、ウォーキングシューズを履いて挑んでもなかなかハードでした。
津久野駅から歩くこと十数分、射撃場跡の一部は現在、堺市立平岡小学校となっています。
なぜ私がたかが一射撃場跡にこれだけ血眼になっているか。誰も振り向かないニッチな遺構を掘るのには、少し話が脱線するが理由があります。
実は私、この平岡小学校卒で、住んでいたのも当然この周辺。今は住んでいないどころか、当時の家自体既に取り壊され現存しません。
小学校5年生だったと記憶していますが、社会科の副読本にこの射撃場が掲載されていたことを覚えています。
副読本掲載の図も、これだったと記憶しています。
実際の授業でこれが取り上げられたかまでの記憶は残っていませんが(まあやってないっしょ)、住んでいる地域に射撃場があったという物珍しさが、私のセンサーに引っかかったのかもしれません。ただ確かなのは、30年経っても鮮やかな記憶として残っていることだけ。
しかし、当時はそれ止まり。射撃場のことは、私の記憶奥深くでしばしの眠りにつくこととなります。
それから30年以上の月日が経ったある日、ブログ執筆の資料集めで『阪和電気鉄道史』に目を通した時、射撃場の記述と下の広告が目に入りました。
「あ!!!」
声にならないような声が出た。30年前、副読書で見たあの記憶が、昨日覚えた知識のように蘇りました。あの射撃場は実在したんだ!と。
この「再会」は何かの縁なのだろう、阪和射撃場の「発掘」はここからひそかに始まりました。
ちなみに、もののついでに副読本も発掘してやろうと思ったものの、ソースは私の脳みその記憶のみ。堺市立図書館の調査員に無茶言いなさんなとやさしく諭されて諦めました。
学校の前は何度か通ったことがあるのですが、校内へ足を進めたのは卒業以来です。卒業生です久しぶりに見学させてねー、なに怪しい?身分証出すから卒業アルバムと照合しなと一声かけ、射撃場のことは少し横に置き校内を回ってみました。
教室のドアがアルミになっていたり、トイレがやけに清潔になっていたり、30年も経つと変わっているところは変わっています。が、全体的な雰囲気は変わっていません。記憶というのは怖いもので、つい数分前まで思い出してもいなかったものが、歩いてみると30年前の風景が泉のように湧き出てくるものです。
しかし、数々の懐かしい話は今回の主題ではありません
グラウンドの端に、「ふじやま」と呼んでいたコンクリート製の小山があります(校史によると正式名称は『平岡富士』とのこと)。在校生時分はここに登ったりして遊んでいたことは書くまでもありませんが、いい大人が童心に帰り「登頂」し、射撃場があった方向を眺めてみました。
「ふじやま」から射撃場跡の方向を見てみると、ゆるやかな傾斜になっていることがわかります。実弾射撃場も段々畑のような上り傾斜になっており、射撃場が地形を活かした形になっていたことが、目で確認できます。
このグラウンドが、おそらくかつての実弾射場の入り口の場所だったと推定しています。
敷地の大小の誤差はあるものの、位置的にはこのような感じと推測しています。
ところで、阪和線の国有化と戦争の激化で放置された射撃場は、どうなったのか。それを物語る資料はありませんが、航空写真で目視は可能です。
終戦から一年経っていない昭和21年6月、クラブハウスがあった建物はすでに撤去され、敷地は荒れています。が、実弾射撃場の長方形の跡はくっきりと残っています。
戦後11年経った昭和31年(1956)でもまだ跡が。隣の堀上緑町の府営造成地(当時)が眼の前まで迫っています、逆にこれが射撃場跡の場所の特定の決め手に。なぜならば、数十年後ここに私が住むことになったから。
5年後の昭和36年(1961)、向ヶ丘第二団地の造成が始まり整地が進んでいます。現存する道筋もこの時期に明確になったと同時に、射撃場の跡はすべて整地の果てに消え去ってしまいました。
そのため、現地を歩いても遺構どころか、存在すら団地造成時に削られた丘と共に消え去っています。
こうして、私の里帰りも兼ねた射撃場探索は終わり。
射撃場跡の「発掘」は、歴史家としての自分の原点中の原点に回帰したネタでした。が、同時に歴史の面白さに気づき始めた小学校5年生の自分に対する、30年後の回答でもあります。お前の行く道は間違っていないぞと。
・『阪和電気鉄道史』竹田辰男著
・『昭和拾七年度全国男子中等学校師範学校体育大会 射撃部番組』(大阪府立中央図書館所蔵)
・『南海沿線厚生施設篇』南海鉄道編
・『堺市立平岡小学校創立30周年記念誌』
・『堺市立平岡小学校創立50周年記念誌』
・国土地理院空中写真
・阪和電鉄阪和射撃場パンフレット
・国会図書館デジタルコレクション
・堺市立デジタルアーカイブ
・朝日新聞過去記事データベース『聞蔵』
他阪和電鉄のパンフの数々