白河と言えば白河の関。平安時代にこの地に下野国と陸奥国の関所が設けられたのが始まりで、「白河の関」は歌の枕詞になっています。短歌が好きな人は、「白河の関」は何か特別な響きがするはずです。また、人によっては江戸時代の白河藩主の老中、「寛政の改革」の松平定信公をイメージする人もいるでしょう。
日本は島国なので、物理的な陸の国境というものは存在しません。が、関西人視点から見ると白河は「ここから東北」と肌感覚で確認できる地域、つまり国内にある国境のような空気を覚えます。陸奥国との「国境」は、潜在的にはまだあるんだと。
写真は新白河駅ですが、ここはその「国境感」を満喫できる場所でもあります。
在来線ホームへ降りると、北行の東北仕様と南行の関東仕様の電車が同じホームでにらめっこしています。
現在の東北本線は、新白河駅で電車の運転系統が完全に分割されており、定期の旅客列車はすべて新白河でいったん乗り換え。
東北と関東、両者で電車の形式が違うのは見てわかることですが、見た目ではわからないもの、それはドアの開閉メロディ。南行き関東仕様電車(E531系)のものは、さすが常磐線で使われているのと同じ電車か、東京の山手線などの電車と全く同じ。東北から南下してこの電車に乗ると、嗚呼、ここから関東なんだ、東京までもう一息…という感触を、聴覚で確認することができます。
仮に、車止めあたりが下野国と陸奥国との「国境」とすると、外国のゆるーいタイプの陸の国境、たとえば検問所がないEU間の国境ってまさにこんな感じです。
海外に行かなくても「国境越え」を体験したい
と思う方は、ここ新白河駅で電車を乗り換えるがよろし。白河の関というブランドも脳内補正され、陸の国境越えを疑似体験できます。
現在の白河市の玄関駅は、新幹線駅でもあり新白河駅となっています。上述のとおり、在来線の電車の系統も新白河が中心となっていますが、この駅は昭和30年代に開設された、比較的歴史の新しい駅。新幹線の駅となり現在の姿になったのはもっと遅く、東北新幹線開業の昭和57年(1982)のこと。
それまであの白河には駅がなかったの?
そんなわきゃーない。
「新」があれば「旧」があり。今回は「新じゃない方」の白河駅の紹介を。
白河駅の歴史
白河市といっても、肌感覚的には昔からの市街地である「旧市街」と、新幹線の新白河駅開業後に発展した「新市街」に分かれています。江戸時代の城下町の町割りを残す旧市街に、昭和後期の都市計画の理論に基づいて作られた新市街。旧市街は道がごちゃごちゃしてアップダウンもあるけれど、白河城跡や松平定信が生きてた頃の時期の石碑、明治以降の近代建築がゴロゴロ残り、遊郭もこちらにあって、町歩きが面白い。
対して新市街の方は、町づくりが近代的でショッピング施設も多く、生活するには圧倒的に便利だけれども、街としては面白くない。旧市街と新市街で街の性質がくっきり分かれているのは、外国では珍しくないのですが、日本では珍しいと思います。
白河駅は、旧市街の方にある駅です。もちろん、現在も現役で存在しています。
見てのとおり、駅舎はいかにも歴史のありそうな、みちのくの玄関口、関東と東北の「国境駅」にふさわしい建物です。木造平屋建てで外観は板張り、図書館に残る昔の駅舎を見ると、現在のものは何度か改修を経ているようですが、基本的な形は全く変わっていません。
現在の駅舎は大正10年(1921)に建てられました。1921年築ということは、去年は竣工100周年だったということで、2022年になっても「100周年」の看板が撤去されず残っていました。
なお、イルミネーションはこんな感じだったようです。
こちらは白河駅前イルミネーション🚃
— 福島民友新聞社 白河支社 (@fminyu_sirakawa) December 3, 2021
今年100周年を迎えた白河駅がオレンジの光に包まれています✨
フォトコンテスト開催中で、インスタやツイッターで
「#白河駅前イルミネーション2021」
をつけて写真を投稿して参加できます📷
ぜひ、素敵な写真を撮りに行ってみてください!#福島民友 pic.twitter.com/ocXd9l863X
白河駅ができたのは、明治時代のことになります。明治20年(1877)8月、日本では101年ぶりに見られるという皆既日食の観測のため、白河までの鉄道建設が急務となりました。
関東から白河へは、すでに奥州街道を走る馬車便が走っており、宇都宮〜白河間を12時間かけて走っていました。現在では新幹線で最速30分、各駅停車でも1本乗り継ぎで約1時間半のところを半日…かなりのんびりとした旅でした。
が、今回運ぶのは観測機器。しかも今のようにコンパクトではなく、天文台一つ運ぶような大作業。それを運ぶため、黒磯まで開通していた日本鉄道(当時)が、白河まで突貫作業で作られました。日食は待ってくれないですからね。
『白河市史』いわく、当時の旧駅は、現在位置からから東(福島側)に約100メートル離れた場所にありました。市史には「十軒屋の突き当たりに(駅が)作られた」とあるので、位置的には上の地図の場所で間違いないと思います。
現駅舎でさえ建築されて100周年が終わったところなのに、さすがに100年以上前の遺構なんて残っていまい…
なんて思っていたら探せばあるもので、旧駅があった位置、市史の記述の「十軒屋の突き当たり」に「白河停車場」の碑が!
そして、その横にある坂が登れそうだったので、ちょいと覗いてみました。
駐車場として使われてそうな場所ですが、奥になにやらあります…
近づいてみると、そこには「鉄道殉職者の碑」と書かれたモニュメントがありました。
花が供えられており、しかもごく最近添えられたっぽいので、定期的に慰霊祭を行っているのでしょう。
明治の開業から平成にかけ、白河駅構内で殉職した41名の名前が刻まれております。
これを見た時奇妙に思ったのは、「大正五年 建碑」の割には私の下半身が反射しているほど石がピカピカなこと。とても105年前に作られたものとは思えない。どころか去年か一昨年くらいじゃね!?と。
調べてみると私の勘の方が正解でした。碑はもともと、日付とおり大正5年(1916)に作られたもので、駅の北側にある小峰城(白河城)に作られたものでした。が、例の東日本大震災で半壊したため、ここの場所に移転の上、2019年に再建されたものでした。
さて、現役の駅舎の中に入ってみましょう。
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