白河遊郭(福島県白河市)|おいらんだ国酔夢譚|

白河の遊郭東北地方の遊郭・赤線跡
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遊郭はずれの謎の建物

ところで、白河遊廓の外れには何やら不思議な建物が存在します。

白河の遊郭赤線跡にあるたまきや

厳密に言えば遊郭跡から外れてはいるのですが、周囲の、いや、白河全体でもかなり珍しい建築様式です。すでに廃屋になっていますが、その存在感は異様なほどに高い。

白河の遊郭赤線跡にあるたまきや

角度を変えてかの建物を見てみると、前面の4本の円柱は看板建築的なダミーと思いきや、建物全体が洋式になっている感があります。
正面の円柱を考慮すると、ギリシャの神殿を意識してるかなと感じます。

白河の遊郭赤線跡にあるたまきや

外壁にも書かれているように、建物はかつて「玉喜屋たまきや」という屋号の店だったようす。看板も残っているのですが、「軽食」に「お好み焼き」…白河に二つもない建物に「お好み焼き」はありえへん(笑

白河市に残っているいちばん古い地図(昭和40年代)でも「玉喜屋」。昭和26年(1951)の商工名鑑には「玉木家」という屋号の飲食店の記載がありますが、「玉喜屋」かどうかは不明。

白河の洋風建築遊郭の建物

ギリシャの神殿を思わせる玄関脇の2本の柱の後ろには、玄関が二つ確認できます。
「二つの玄関」は赤線建築によくある形式ですが、正直これだけでは断言はできません。しかしながら、こんな狭い領域に二つも出入り口は明らかに違和感がある。自宅用の玄関なら裏口に作った方が美観としても絶対良いだろうし。

これは絶対、過去は何かしら「訳あり」だと思うのですが、如何せん決定的な証拠がない…。

白河の遊郭赤線の置屋浪速家

「たまきや」の向かって左隣には、「たまきや」とは逆の趣を持つ純和風の建物が残っています。
一見、何の変哲もない民家に見えるのですが…

白河の遊郭赤線の置屋浪速家

玄関の上に「浪花なにわ家」の文字が!
遠い陸奥に見つけた我が故郷の浪花(浪速)の文字。字のごとく浪花出身の人が主だったのでしょうか。それはこの家からは何も語ってくれません。

「浪花家」の歴史が古いようで、上述した大正時代の白河市街図にも同じ名前・場所で記載されています。周囲に待合らしき名前も見えるので、「浪花家」の周囲はかつて遊郭に隣接した花街で、「浪花家」はたぶん置屋だったと推定できます。

しかし、戦後の商工名鑑の名簿には「浪花家」の記載はありません。戦後は廃業してしまったのか…!?

3年間のみちのくひとり旅の締めに、桜がピンクに映えるこの2軒の姿をカメラに収めました。

白河の遊郭赤線跡にあるたまきや

この写真を最後に、1年間暮らした白河、そして3年間の東北生活に別れを告げました。白河の桜が私の関西帰還を喜んでくれているように、この日の桜は100点の満開でした。

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『写真で見る白河のあゆみ』
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