大阪の遊郭と空襲-飛田は燃えているか-

大阪の遊郭と空襲関西地方の遊郭・赤線跡
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飛田遊郭は焼けたのか?その実際は!

インターネットの大海で遊びながら「飛田 空襲」なんて気楽にググってみると、「飛田遊廓が先の戦争の空襲で焼けたか否か」についての情報が錯綜している感があります。焼けてない、いや、焼けたと。

よって、これを機会にさっぱり解決してみようと思います。

飛田新地は果たして空襲で焼けたのか?

1947飛田航空写真

昭和22年(1947)の航空写真を土台に、大阪市が所蔵している焼失区域の資料を照らし合わせると、こうなりました。
結論から言うと、飛田は3月14日の第一回大阪大空襲で大通りの南側の一部が一部焼失しております。飛田新地の名物になっている元妓楼、「鯛よし百番」は、写真のとおりギリギリセーフ、建物は健在でした。
上の写真は、残念ながら高高度から撮影している上に天気も曇りだったせいか質は良くないのですが、遊廓の大門通りの北側は全く焼けていないことくらいは確認できます。

また、昭和27年(1952)刊の永木徳三『風来坊』1にも、以下のように書かれています。

 

飛田は大門通りを境いに南半分は殆ど焼けてしまったが、北半分は完全に焼残り(以下略

引用:『風来坊』(永木徳三著)

私の分析を裏付けています。

飛田新地の詳細は下記をどうぞ。

 

おわりに

大阪の遊郭の戦災報告をまとめてみると、「木の摩天楼」でもあった遊郭は焼夷弾に対してはひとたまりもなかったことがわかります。
ほとんどの遊郭は赤線として戦後も続くことになりますが、飛田以外は事実上のNEW遊郭と言ってもいいでしょう。松島は場所まで移ってしまったことですし。

本記事で、皆さんのぼんやりとした「焼けた?焼けてない?」の疑問が晴れることを祈ります。

  1. 宗教法人相互福祉会出版部

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