みんなで学ぼう!神戸の空襲

神戸の空襲昭和史
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第二回神戸大空襲(5月11日)

空襲実施機数:92機
投下爆弾量:約450トン(通常爆弾が中心)
被害区域:現在の灘区・東灘区周辺

東灘区にあった航空機工場(川西飛行機甲南工場)が目標とされました。天気は曇のち雨だったと記録されています。爆弾による高高度精密爆撃で、当時は「本庄村」だった東灘区とその周辺が被害を受けました。

昭和20年5月11日神戸空襲
神戸市「神戸の戦災 写真から見る戦災」より)

空襲警報が鳴り灘区役所の職員は建物の地下室と防空壕へと分かれて避難しました。防空壕は雨水が溜まっていた粗末なつくり、対して地下室はコンクリート製だったのでこちらの方が安全と思われたのですが、これが運命の分かれ道でした。3発の250kg爆弾が区役所を直撃し、さらに火が付いて地下室に避難した35名が即死し、防空壕側は全員生き残ったと記録にあります。

また、この空襲で深江にあった高等商船学校1も被害を受けました。

川西飛行機には数多くの工員や学生が働いていたためか、本空襲での死者は1,203名とかなり多めでした。

 第三回神戸大空襲(6月5日)

空襲実施機数:474機

投下爆弾量:約3,079トン(焼夷弾が中心)

被害区域:現在の神戸市全体+芦屋・西宮市の一部

3月10日の東京空襲が「東京大空襲」の代名詞のように、一般論としての「神戸大空襲」はこの日の空襲をさします『火垂るの墓』に描かれ母親が亡くなった空襲もこの日のことです。

前回の空襲で焼け残ったところすべてが対象となり、西は須磨・垂水、東は西宮まで広範囲に及びました。そしてこれは明らかに住民密集地区を狙ったもので、「焼き払え!」という声が聞こえてきそうな無差別爆撃でした。
この空襲で、須磨・長田・生田区役所が全焼し、これで神戸市のすべての区役所が焼失または破壊されたことになります。

本空襲の範囲は特に現在の三宮と元町地区が徹底的にやられ、当時中学2年だった市民の回想によると、空襲翌日の元町・三宮界隈は黒焦げになった死体の山。
阪急三宮駅西口にはシャッターが下りていて中に入れなかったものの、格子状だったため中が丸見えでした。格子の奥には、道に転がる黒焦げとは逆に、まるで蝋人形のような真っ白な人々がそこに倒れており、服も焼けたり煤けたりもせず、きれいなものだったそうです。おそらく、一酸化炭素中毒で斃れたのでしょう2

この空襲で市街地の6割が焼け、葺合区と生田区、現在の中央区はほぼ全域が焼けて「全滅」判定を受けました。
米軍も空襲後の偵察で「焼き尽くされた」判定をしたらしく、神戸は焼夷弾による焦土攻撃の目標から外されることになります。

既に故人ですが、神戸生まれの我が父親はこの空襲の後を覚えているそうです。
父親は奈良に疎開していたので、直接被害を受けたわけではありません。空襲直前まで神戸にいたそうですが、たまたまか曾祖母のもとに帰っていた祖母と父が、数日経って祖母と一緒に荷物を取りに帰ったら、家どころか町そのものが「消えていた」と。
当時4歳だったので、その後(戦後)の混乱などで忘れていたものの、阪神淡路大震災で瓦礫となった神戸の街をテレビで見て、フラッシュバックのように鮮明に蘇ったそうです。

よく考えると、『火垂るの墓』の節子とオヤジは同い年だったことに最近気づきました。つまり、フィクションながら節子が生きていれば、私くらいの子どもがいて、おそらくは孫もたくさんということになりますね。

空襲はこれだけではありませんでした。
5月3日より神戸港に機雷が投下され、7月には長崎型プルトニウム原爆と全く同じ形・重量の「模擬原爆」が、兵庫区の川崎車両などに落とされています。また、8月5日には「阪神大空襲」と呼ぶべき、西宮市から芦屋市にかけての無差別爆撃も行われています。
その上、グラマン戦闘機による機銃掃射は、数えるのも面倒くさいほど行われていたので、「毎日が空襲だった」と言っても大げさでもなんでもないでしょう。

空襲で受けた神戸の被害は、

見出し

・戦災家屋数:141,983戸

・罹災者:530,858人

・死者:7,491人

・負傷者:17,014人

神戸市ホームページより)

となっていますが、確定資料が行政機関も持っておらず、実数はもっと多めとされています。

神戸市及びその近辺の、人口千人当たりの戦争被害率は47.4人。これは当時の五大都市(東京・大阪・名古屋・横浜・神戸)で最高を示しています。神戸は「猫の額」ほどの平地に人が密集して住んでいたので、空襲など火に包まれると逃げ場がなく、それが多数の死者を生んだ地理的要因もありました。

空襲により神戸がどれだけ焼き払われたのか、戦後のカラー映像が残っているのでこちらもどうぞ。映像、それもカラーで見ると空襲が昨日のことのようにリアルになります。

  1. 現在の神戸大学海洋政策学部。
  2. 『神戸少国民の大東亜戦争史』狩野光将著より
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