立石の赤線(特飲街)(東京都葛飾区)|おいらんだ国酔夢譚|

東京立石赤線東京・関東地方の遊郭赤線跡
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立石の赤線跡を歩く

立石赤線

今の立石駅北口の商店街です。今は下町の香りの濃度が濃い商店街になっていますが、この裏にかつて赤線がありました。
しかし、ドトールとサンマルクが真ん前どうしにらめっこするように建てられてお互いケンカせーへんのかいな?と思うのは、何事も競争な大阪人ならではか!?
交番の裏にある道を進んでみると、

東京立石赤線

さっそく第一村人…ではなく第一建物発見!
当時の住宅地図などがないので、確証は持てませんが(後で裏を取ります)、建物の見た目築年数や建て方などから間違いはないと思います。

この建物の前の道を、とりあえずまっすぐそのまま、別の道に当たるまで歩いてみると。

東京立石赤線

別の道に歩く前に、こんな建物を見つけました。
リフォームはされているものの、「元の形」を留めながら改築されている感があります。

東京立石赤線
交差点にこんな建物も残っとりました。これは『赤線跡を歩く』にも掲載されており、間違いないかと思われます。

東京立石赤線

『赤線跡を歩く』に載ってない角度で、上の建物の全景を撮ってみました。
こう見ると「いかにも」という感じか!?

道を引き返した途中のT字路には、赤線時代の宝物庫のように当時の建物が残っていました。

東京立石赤線カフェー建築

玄関横の小窓がアルミサッシに変わり、少し味気がなくなったものの、赤線当時の面影がよく残っています。
正面右側の窓のところが一段低くなっており、この小窓から「ちょいとお兄さん♪」と女が声を掛けていたのだろうか。

立石赤線カフェー建築

この建物は注目すべき点があります。自動販売機のジュースの値段が100円ってことって?ちゃう!そんなん珍しくも何ともない(笑

この既に閉店して久しいと思われる二軒のスナックは、写真を見たらわかるように元は「一軒」であったことがわかります。そして…

赤線カフェー建築
立石赤線カフェー建築

建物の隅の、アールデコ調の曲線美が素晴らしいハーモニーを醸し出しています。
赤線カフェー建築の典型とも言えるこの曲線美ですが、これで驚いくにはまだ早い。

カフェー建築

建物を飾る円柱です。これもカフェー建築を象徴する装飾の一つですが、まだ驚くのは早い。

立石赤線カフェー建築タイル

そう、この円柱、タイル貼りだったのです!
上塗りされて隠れとった当時のタイルが一部剥き出しになっており、これだけ見ても店全体が様々な色のタイルが貼られた、かなり派手な建物であったことがわかります。
もしかして、上塗りを全部剥がしたら、見る者(というか一部の変わり者?)を驚かせ、同時に感動を呼ぶようなきれいなタイルが姿を現すかもしれません。
今すぐでも上塗りの部分を削ってみたい衝動にかられました。ってそんなことをしたら器物破損罪で捕まりますわな。いや、捕まっても初犯やから執行猶予はつくから前科一犯で…ってそういう問題ではない(笑

この建物の横の、ほとんど家の裏側のような細い道を通り、いや潜り抜けてと表現した方が妥当な道を抜けると。

立石駅前赤線飲み屋

ここが現在の立石の飲み屋街になっているようです。この狭い通りに並んだ店のゴチャゴチャ感がまた赤線跡らしいと言えばそれっぽい。
もちろん、赤線時代にはこの通りには店がたくさん軒を並んでいたことでしょう。

一見すると、もう赤線時代の建物は…と思うところに、ひっそりと当時の建物が残っていました。

立石赤線

例えばこれ。
ただの看板建築っぽいのですが、ここは自称遊郭・赤線のインディー・ジョーンズのカンで、何かがピンときました。

立石駅前商店街

奥を覗いてみると、建物がやけに奥まっています。これもある意味赤線建築の真髄(?)、正面は小さいけど実は…なのが赤線カフェー建築の特徴でもあります。

そして、ある意味立石赤線跡最大の見ものがあります。

立石赤線カフェー建築

これ。
一つの建物に3つドアがあるという赤線独特のつくりであります。
なんで一つの家にドアが3つもあるか。そして3つも必要だったのか。それは客同士が玄関でばったり鉢合わせることがないように配慮されていたからなのです。おそらく入口専用、出口専用と片道のドアやったと思われます。
とにかく道が狭すぎて、角度的にどう写しても「2つ」しか写せなかったのですが、確かにこの建物、ドアが3つ、均等な間隔で設置されています。
私も数々の遊廓・赤線跡を歩きましたが、このような、”いかにも”赤線臭い建物に出くわしたのは久しぶりです。昔はところどころに、それこそ吐き捨てるようにあったのでしょうが、赤線が消えてもう60年以上経った21世紀の現在、現存する建物は非常に少なくなっています。都会化が現在進行形で進むメガロポリス東京の片隅で生き残る、最後とも言える生き証人です。

立石赤線カフェー建築

ベランダの形も、自己主張は控えつつもやっぱし自己主張したい、というようなツンデレの女の子のような洋式です。

立石の赤線跡、東京の下町に残る男と女の交渉の跡。今でもその面影は、ほとんど忘れ去られつつあるものの、確実に点々と残っていました。そして、あまり期待してなかった分、意外に建物が残っとってまだまだここは「健在」ということがわかりました。

が、現実はかくも厳しい。この立石にも「死の宣告」がやって参りました。

立石旧特飲街、消滅へのカウントダウン

赤線当時の建物が未だ残る立石ですが、どうやら「ご臨終」の日々が近づいている模様です。

立石再開発葛飾区
立石駅前が再開発されるという計画があり、再開発は「北口から手を付け」、つまり赤線があった地区から壊されていくようで、2021年より実行とのことです。
昨今のコロナ騒動で計画が凍結されている可能性もありますが、すでに一部が着手されているかもしれません。
既に葛飾区により「死の宣告」を受けている立石の赤線跡、見に行くなら今のうちかもしれな…いや、今のうちです。
開発をやめろとは到底言えません。しかも遊郭・赤線は黒歴史でもあるため、保存どころか積極的に消されていく運命にあります。我々にできることは、その最期の姿を写真や映像に残し、そこに「赤線があった」歴史を文字で残すこと。それさえ間に合えばOKではなかろうか。私の個人的な意見ではあります。

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■『赤線涼談』渡辺寛著
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■『赤線区域の実態概要』労働省婦人局編(
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