福沢諭吉と生命保険の意外な関係

歴史エッセイ

1万円札でおなじみの福沢諭吉。知らない日本人は誰もいないでしょう。しかし、何をした人?となると首をひねって考えてしまう人も多いのではないでしょうか。
千円札の野口英世は医学者、五千円札の樋口一葉は文学者とイメージと経歴がピタリと一致しています。しかし、福沢諭吉はなんだか漠然としかイメージできないでしょ。

また外国人に、

1万円札の人って何した人なの?

と聞かれたら答えられますか?語学力は別としても答えられないでしょう。

私も過去にフランスで、ビジネスの雑談で聞かれた経験があります。知らないと答えると、

「何で君は日本の最高額の紙幣の人物を知らないんだ!そもそも君は教養が(以下略」

とけちょんけちょんにバカにされ、君のようなバカとはビジネスしたくないと仕事まで破綻にされそうになる始末。

とてつもない屈辱に、帰国後諭吉の自伝の『福翁自伝』を皮切りに、『福沢諭吉』と名前がついた本を借りて読みふけりました。

しかし、何故彼が何をした人かわからないかという理由もわかりました。それは、とにかく色んな「顔」があって、特定の一つの分野で事を成したという訳ではないからです。「漠然としかイメージできない」と書きましたが、それこそが福沢諭吉のすごさとも言えます。

文筆家・コラムニストとしては日本初のミリオンセラー、学校経営者としては慶應義塾の創始者として有名ですが、「学費」という概念を日本で初めて取り入れた先駆者。更に、教育者としては数々の民間の人材を育て上げ、神戸牛の間接的な生みの親としての経営コンサルタントの顔も持っていました。

中国古典の王様『論語』に、

「君子は器ならず」

という言葉がありますが、福沢諭吉は器では収まりきれない、まさに『論語』風の君子だったと言えます。

その数えきれないほどの業績の中に、「日本に生命保険を紹介した人」という顔もあります。

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福沢諭吉と生命保険

生命保険は、今ではほとんどの方が加入していると思います。保険会社やプランも多種多様、日本は世界でも屈指の生命保険大国となっていますが、その源は福沢諭吉。

彼が生命保険を日本に紹介したのは慶応三年(1867)、明治維新の一年前のことです。 著書で、

 

災難請合とは商人の組合ありて平生無事の時に人より割合の金を取り万一其人へ災難あれば組合より大金を出して其損亡そんもうを救う仕法しほうなり其大趣意は一人の災難を大勢に分ち僅の金を棄て大難をまぬがるる訳にて・・・(以下略

引用:『西洋旅案内』

というふうに紹介しています。まだ当時は「生命保険」どころか「保険」ということばすらなく、『災難請合』と訳しているところに、諭吉の一工夫を垣間見ることができます。おそらく、英語のinsuranceの翻訳に苦心したのでしょう。
この「災難請負」は、生命保険だけではなく災害保険も含めたニュアンスです。

福沢諭吉は、英語の概念語・抽象語を日本語に翻訳した立役者でもあります。
現代の日本人が毎日、ごくふつうに使っている「演説」「経済」「社会」などの単語は、福沢諭吉が英語のspeech、economy、societyを翻訳した言葉です。
ある日、英語のliberty , freedomをどう日本語にするか悩みに悩んだ諭吉さん、最終的に 「自由」 「御免」 という2つの候補が残りました。
「自由」は英語から思いついた諭吉の造語で、「御免」は「斬り捨て御免」という言葉があるように、江戸時代から使われていた言葉です。
この二つに絞っても悩みに悩み、結果的に残ったのは、我々が何の疑いもなく使っている「自由」の方なのは言うまでもありません。

歴史のIFではありますが、もし諭吉が「御免」を採用していたら、今の世界は確実に変わっていました。 何故ならば!

自由の女神 → 御免の女神

言論の自由 →言論の御免

自由が丘(東京の地名) →御免が丘

うーん・・・なんか違うよね?(笑

福沢諭吉が保険を紹介してから15年後、明治14年(1881)に、慶應義塾の教え子の阿部泰蔵によって、日本初の生命保険会社が作られました。この会社はのちの明治生命になり、今は明治安田生命となっています。
ちなみに、2番目は帝国生命(明治21年設立)、3番目は日本生命(明治22年設立)です。

その生命保険の言い出しっぺの福沢諭吉は、 「人の生命を金勘定するとは何事か!」 と非難轟々だった生命保険に真っ先に加入し、日本の生命保険加入者第一号になりました。当時の健康診断書も残っていると言います。
それによると、彼は 身長:173 cm 体重:67.5 kg 。今の21世紀の時代だと、ちょっと高いかなという程度です。今の安倍晋三総理大臣が175cmなので、諭吉とほぼ同じです。

福沢諭吉は大男だった!

歴史を見る時に、やってはいけないタブーというのがいくつかあります。その一つが、現在の常識の眼鏡をかけて過去を見ないこと。 諭吉さんの身長は今でこそ普通ですが、幕末~明治時代の成人男性の平均身長は155cmくらい。それと比べるとかなりの大男でした。今の感覚なら190cm以上といったところでしょうか。
それを物語る写真が残っています。 

福沢諭吉大男

真ん中が福沢諭吉翁、服装から、おそらく教え子の慶應義塾の学生と、社会人となった卒業生とのスリーショットだと思われます。諭吉が大男だったことは一目瞭然、横の二人がまるで小学生です。でも、横の二人が小さいのではなく、諭吉さんがずば抜けてデカいのです。

他の「お札」の身長は、

千円札(野口英世):153cm 

五千円札(樋口一葉):142~146cm
(※肖像画による解剖学上の推定)

となります。上の写真であれば、野口英世は「小さい方」の背丈だったということです。数字を見ると思わず低っ!と思ってしまいそうですが、100年以上前の日本人の身長はこれくらいだったのです。

生命保険から見た福沢諭吉の顔を見ていきましたが、彼のすごさはまだまだこんなものではないというところ。 また機会があれば、あなたの知らない1万円札の世界をお届けしたいと思います。

 

 

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